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【神社本庁発行『まほろば』 吉田沙保里選手 インタビュー】

投稿日:2017年5月15日(月)


今日5月15日は、沖縄復帰記念日です。昭和46(1971)年6月17日に宇宙中継によって東京とワシントンで結ばれた「沖縄返還協定」が昭和47(1972)年5月15日午前0時をもって発効し、沖縄の施政権がアメリカから日本に返還され、沖縄県が誕生しました…権禰宜の遠藤です。

さて、神社本庁発行神社広報『まほろば』第55号に、吉田沙保里選手のインタビュー記事が掲載されていましたので、ご紹介致します。

まほろば55 表紙
まほろば 吉田沙保里1
【Special Interview 吉田沙保里】
身体ひとつで組み合う格闘スポーツ、レスリング。歴史は古く、紀元前三千年頃にはすでに競技として成立し、古代オリンピックの主要種目でもあった。そんなレスリングの世界で現在、「霊長類最強女子」の呼び声も高いのが吉田沙保里選手だ。勝ち続けるとはどういうことなのか。今回は、東京都千代田区の神田明神で、レスリング選手の吉田さんに話を伺った。

夢を受け継いでいく

~ひとりだけではない戦い~
その涙に日本中が目を潤ませた。平成二十八年のリオデジャネイロ五輪、日本選手団主将という重責を抱えて四連覇に挑んだ吉田沙保里選手。決勝戦でまさかの敗北を喫した彼女は、インタビューで込み上げる気持ちを抑えることができなかった。
「自分のために戦ったというのももちろんありましたけど、大会の前、いろんな方たちと金メダルの約束をしていたんです。心臓病で車いす生活の女の子とか、亡くなられる前の千代の富士さんとか。自分の亡くなった父にもそうです。お墓参りのたびに、四連覇するから見守っていてね、と話していました。知人だけでなく、国民のみなさまにも期待をいただいていた中、金メダルを獲れなかったことで、自然に『すみません』と素直な気持ちが出てきたんです」
明るく気さくな彼女からは想像もしていなかった、吉田選手の号泣。それは、周りの人に対しての想いからだった。そんな彼女が長年、双肩に担ってきたからこそ、今のレスリング界はある。リオ五輪で金メダルを獲得した後輩の日本選手たちも、決勝戦で彼女に勝ったマルーリス選手も、吉田選手の背中を追いかけてきた。
多くの人の夢を受け、次に伝えていくことも大切な役割だ。
「私だけが頑張ってきたとかではなく、私の前にも先輩がいて、その頃は運悪く五輪種目じゃなかったんです。もちろん、世界チャンピオンもいましたし、五輪にも出たかった選手ばかりだと思います。五輪種目になったのは私が二十代前半の、ちょうどいいときです。運も実力のうちと言われますが、本当に運が良かった。先輩たちからいたから、レスリングの伝統を私たちも受け継いでこられたんです」
五輪種目になってから女子レスリングも競技人口が増え、世界も強くなった。戦いも厳しくなっていく。それでも彼女は後輩たちを信頼している。
「今の女子レスリングの伝統を、子供たちに受け継いでいってほしいですし、強さを守ってほしい。若い選手たちもリオ五輪で金メダルをたくさん撮って、いい流れで受け継いでくれているので、このまま、またさらに次の世代に伝えて、どんどん強くなってほしいですね」

~楽しく厳しく~
世界で勝つ練習は相当過酷なものだろう。しかし彼女の後輩たちとの練習風景は、とても楽しそうに見える。
「自然とそうなっています。こういう性格なので、昔から笑わせることが好きなんです。みんなが笑っていると幸せを感じます。おしゃべりや笑顔の絶えない家庭だったので、それが染みついているのかもしれませんね」
まほろば 吉田沙保里2
お祭り好きでムードメーカー。場を盛り上げることにも負担は感じない。
「厳しい練習でも、笑顔で楽しくやったら乗り越えられると教わってきました。何歳になっても、立場が上になっても、私から元気に声を出していくというのは変わっていません」
だから彼女がいないと練習の雰囲気も違うらしい。
「『沙保里さんがいないと暗い』とか言われます(笑)」
それでも、基本の厳しさはぶれてはいけない。
「昔と比べたら変化もあります。以前は練習中に水が飲めない時代もありましたが、今はどんどん飲め、と。叩かれることもなくなりました。そうやって好成績を残せるのは、すごくいいことだと思うんです。そうした変化の中で、伝統や強さを受け継いでいくためには、厳しかった昔を無視するのではなく、忘れないことが大切だと思うんですね。昔の厳しさだけではやっていけない部分もありますが、時代の流れだからとか、今はこういう時代だからとか、全部そうしていたら段々と甘くなってしまう。基本がバラバラになると全部バラバラになってしまうので、大切なところは指導者が心を鬼にして厳しく教えていかなければなりません」
今はスポーツの研究も進み、コンピュータなどで分析できるようにもなった。
「スポーツ以外のどの世界でもたぶん同じだと思うんです。いいものは取り入れながら、でも決まりは絶対にぶれない。それをやっていた人がもしいなくなっても、その人に教えてもらったことを次の人が受け継いで、どんどん教えていくんです。そうすれば、基本も保てるのかなとおもいます」

~勝利が強さではない~
レスリングを始めたのは三歳の頃。全日本レスリング選手権のチャンピオンだった父の道場に「入門」したのが原点だ。ふたりの兄もマットに立つ、レスリング一家だった。
「初めて試合で負けたとき、私に勝った男の子が金メダルをぶら下げた姿を見て、私も欲しいと父に泣いたら『あれはどこにも売っていない勝った子しかもらえないものだから、頑張って練習して強くなりなさい』と言われました。そこからすごく練習するようになったみたいです。五輪金メダルの夢を持つようになったのは中学の頃ですね。」
そして大学時代に女子レスリングが五輪種目となり、最初のアテネ大会で金メダルに輝く。
十五年間、女子レスリングの王者であり続けた彼女の語る「強さ」とは単に試合に勝つ力のことだけではないようだ。
「ただ強いだけが強さではなくて、内面が本当に大事です。そうした部分が良くないと、試合でも必ず上までいけません。なので、強さだけを求めているのではありません」
今の成績を残せたのも、いろいろな人のお蔭だという。
「家族への感謝は絶対に忘れられないですし、多くの方と出会っていろいろと教えてもらい、ここまでなれたと思っています。まだ一人前ではないですけど」
レスリング一本でやってきた吉田選手。三十歳を超えてからも多くの経験を得てさらに世界も広がった。
「それがまた強さにも繋がっているのかと。練習して勝つだけが人生ではなくて、いろんなことの中で人は成長できるんだなって思うんです。違う世界での厳しいことを知ると、自分のつらさってたいしたことないな、と思えたり。レスリングだけというのも大事かもしれないですけど、それ以外を知ることで、頑張らないと、と背中を押してもらえますね」

~感謝の祈りと少しの願いで女性としても輝くように~
母校のレスリング部では毎年、近くの神社に参拝している。道場にも神棚があって、練習前と後には必ず二礼二拍手一礼。
「神社は普通の場所とはまた違うと思うので、気持ちを整えていきたいですね。神様が見られている場所かと思うと、そこはしっかりしないと、という気持ちに自然となります」
近頃はお参りのときの心境にも変化があった。
「以前は神社でも神頼みだけで『優勝させてください』とか『いい人ができますように』とか(笑)。でも最近は『一年健康で過ごすことができて、ありがとうございました』と感謝の気持ちを伝えて、最後に少しだけ『家族が健康でいられますように』と願うようにしています」
有言実行タイプだという吉田さんは、最後にこう語った。
「一度切りの人生なので後悔はしたくない。つらい部分、我慢しなければいけない部分もありますけど、楽しく、本当に自分がやりたいことを一生懸命やることで、人生は良かったなと思えるはずです。私は五輪に四回も出させてもらって、レスリングを通してすごく幸せな人生を送っているので、あとは女性の幸せも、と(笑)」

インタビューを終え、昇殿参拝した彼女が神前に奉納した絵馬には「女性として輝ける一年にする!!」の決意。本当の「強さ」を追い求める彼女は、ますます輝いていくことだろう。


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