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奉鎮 源義経公没後830年 記念事業下見

投稿日:2018年10月10日(水)


【神道百言】⑦ 岡田米夫著

『神道は日用の間にあり』(度会延佳陽復記(慶安3年(1.650)

(神の道は特殊な道でなく、毎日の行為が、神のみ心に叶つてゐるか、どうかを反省し、精進する以外にない。)

子供の頃に「誰も見ていなくても、神様が見ているのよ」とよく言われました。「お天道様が見ている」もよく聞きました。多くの皆さんに使っていただきたいと思う宮司です。

9.30くりこま荘にて (7)

さて、強烈な台風24号が当地を通過した9月30日(日)から10月2日の2泊3日の行程で、宮城県を始め岩手県・福島県・栃木県に鳶頭の髙岡さん・渡邊さん、牛若会の小峯さんの4人で伺いました。

これは、明年が当社の御祭神であります源義経公の没後830年に当たることから記念事業を行う計画があり、義経公の胴塚を整備されていらっしゃる「くりこま荘」の菅原次男さん(写真中央)にご報告とご相談に伺ったものです。

急遽日程を決めたにも関わらず、義経公が宿泊したと謂われる栗原寺(りつげんじ)の住職様、地域の歴史研究会の会長様もお越し下さり、貴重なお話を頂くことが出来ました。

特に、栗駒の方々の義経愛は未だにとどまることが無く、外国の方から「800年以上前の人が未だに英雄なのは世界中探してもいないだろう」と言われたこともあるそうです。

尚、くりこま荘は平成20年6月に発生した岩手・宮城内陸地震の際に大きな被害があり、当社と氏子総代会で義捐金をお送りしたことがありました。今回、お会計の際「今日のお代は結構です。あの地震の時、もう閉めようと思っていたんですが、白旗神社さんから義捐金が届いて、もう1回やろうって思えたんです。その時の御礼です。」と涙ながらにお話し下さいましたので、今回はご厚意をお受け致しました。菅原さんありがとうございました。

9.30くりこま荘にて (1)

(20年前に菅原さんが往復を歩かれた行程。義経公の御首が44日かけて鎌倉市腰越に送られたルート)

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(20年前に実際に担がれた箱と兜)

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(菅原さんが歩かれた際の服装)

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(くりこま荘の食堂の板ふすま絵と、ご馳走していただいた新米と日本酒)

翌日は台風通過後すぐでしたので強風でしたが、雨に降られることもなく、菅原さんにご案内いただき判官森(はんがんもり・ほうがんもり)にある義経公の胴塚へ参りました。

9.30判官森 (3)

ご案内していただかなければ辿り着けないような場所で、雨上がりのちょっとした登山になりました。(さらに奥にある弁慶森にも行きました。77歳の菅原さんが先頭でしたが、追い付けなくなりました・・・)

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ここは判官森の下にあるJA(農協)奥の遥拝所(ようはいじょ。山に登らずにここからお参りできる)です。建物の左側に、当社の鎮霊碑と同じように首・胴の御霊を合わせて祀った奥津城(おくつき・お墓)があります。尚、農協の方は栗原神楽を当社で奉納して下さった際に来社下さったとのことでした。

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(当社の鎮霊碑が兜の形をしているのに対し、栗駒では鎧の形をしている)

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その後、栗原寺に伺い、住職様に昨日の御礼をしてお参りさせていただきました。

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ここは、義経公が頼朝公に追われた際に一泊したと謂われるお寺です。本堂には、義経公の御位牌や郎党の御位牌がありました。

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(栗原寺は一度廃寺となりましたが昭和になり再興されたそうです)

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(鞍馬寺の貫主様もお参りになったそうです)

9.30くりこま荘にて (2)

(お参りの方に住職様が説明される際に使われるホワイトボード)

ここで菅原さんに別れを告げ、4人だけで義経公にゆかりのある場所を巡りました。

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まずは、義経公終焉の地である岩手県平泉 毛越寺(もうつうじ)近くにある義経堂にお参り致しました。(義経堂は毛越寺さんが管理されているそうです)

反射して上手に撮影出来ませんでしたが、義経公の像が鎮座されています。

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その後、日が暮れてから藤原泰衡と源頼朝が激戦を繰り広げたという福島県国見町へ。

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弁慶の硯石(すずりいし)弁慶公とは直接関係ないようでした。

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現在の「義経公の腰掛松」は3代目で、立派な2代目が丁重に囲われ展示されていましたが、辺りが真っ暗で少し怖かったです。

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国見町は義経伝説を観光に利用されているようで、色々な取り組みをされているようでした。(このURLは使用できませんでしたが・・・)

2日目は福島駅近くの東横インに宿泊しました。

翌日は、まず白河の関に向かいました。

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白河の関は、白河神社の境内地にもなっており、その中に義経公の矢立松がありました。この松も、既に形はありませんでした。

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延喜式内社 白河神社は、義経公を始め多くの武将が色々なものを奉納されたようです。義経公は金幣(きんぺい)を奉納されたようです。

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ここからは白河の関を超え栃木県を目指します。義経街道と呼ばれているようでした。

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県境にある追分明神をお参り致しました。

『陸奥(むつ)と下野の骨橋の追分明神に着いた頃は、もう夕もやが境内の杉木立に深くたちこめていました。義経一行は、その夜をここで明かすことにしました。冴えわたった明けの夜空に星が映えてきらめき、まわりの山々が真黒く浮き上がり、それから、東の山の端がやがて明るくなりました。「月を拝もうではないか」義経はわずかの共を連れて、東の山に登りました。こうこうと照る月に手を合わせて、義経は、これから行く先々の幸いを祈りました。里人は、やがてこの山を月夜見山と呼ぶようになりました。』

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おそらく、義経公も歩かれたであろう道、お参りされたであろう神社です。

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左が福島県、右が栃木県です。丁度、白河高校と書かれたシャツを着た(自転車部と思われる)生徒さん8名ぐらいが、栃木県側から自転車に乗って凄い形相で坂道を登って来ましたが、すれ違う際に「こんにちわ」と挨拶してくれ、思わず「頑張って」と返しました。

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山を下ったところに、義経公の馬の足跡と謂われる「沓石」がありました。車をUターンさせて撮影しました。

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何となくこれだろうというような跡がありました。

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幣石神社(おんべしじんじゃ)があったようです。確かに奥に鳥居がありましたが、神社があるようには見えなかったので行きませんでした・・・。また、義経公の腰掛石がありましたが、石が多過ぎてどれが腰掛石かは不明でした。

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山を下りて開けたところに「弁慶下駄掛石」がありました。

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弁慶の鉄下駄「この下駄に触ると浮気しなくなる」と書かれていましたので、一応触っておきました。髙岡さんにもお勧めしましたが、「嫌だよ」とのことでした。(笑)

ここでレンタカーの返却時間を考慮し、今回の下見は終了となりました。次回は埼玉から再開する予定です。

この下見から、来年の記念事業がどのように進んで行くのか楽しみにお待ちいただければと思います。

菅原様を始め、髙橋住職様、菅原会長様、お世話になりました。ありがとうございました。髙岡さん、渡邊さん、小峯さん、お疲れ様でした。

 

 

 


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
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