源義経公をおまつりする、武芸・芸能・学問のごりやくある白旗神社公式サイト!

白旗神社の参拝ついでに、ぶらりウォーキングをしませんか?
周辺には、白旗神社ゆかりのお寺や源義経公終焉の舞台となった史蹟がいっぱい。
白旗神社で手を合わせた後、藤沢宿の歴史散歩を楽しみましょう!

白旗神社附近史蹟図

地図内の各所をクリックすると、詳細をご覧いただけます。
史蹟図

上方見附跡

上方見附跡 見張所が設けられていた藤沢宿の関西方面の出入り口です。もともとは石垣の土居を築き榎が植えられ、有事の際には関所として機能しました。


白旗神社ゆかりの古寺 白王山 荘厳寺

白王山 荘厳寺 創建元暦元年(1184)の古刹です。建久9年(1198)、このお寺の住職の覚憲は白旗神社の別当(兼務者)となり、これ以降、荘厳寺の住職は白旗神社の神職も勤めました。
延亭4年(1747)に白旗神社境内に本堂を建てました。以後約130年間、神社の隣に荘厳寺はありましたが、明治時代の神仏分離令により、明治8年(1875)に現在地に移りました。寺宝の位牌には、表に「白旗大明神神儀」、裏に「清和天皇十代末源義経公」と記されており、当時のゆかりの深さがうかがえます。


義経公を偲ぶ 伝、源義経公首洗井戸と首塚の碑

首塚の碑 本町公園の一隅に鎌倉石を積んで掘られた井戸があり、傍らに首塚の碑が建てられています。腰越で首実検後、海に捨てられた義経公の御首は、白旗川の川辺に流れ着いたといわれ、その際、金色の亀の甲羅に乗って現れたといいます。驚いた付近の里人は泥で汚れた御首を拾い上げ、この井戸水で洗い清め、丁重に埋葬し塚を築いたと伝えられています。
首塚はこの井戸より白旗神社方向へ40m程の所にありましたが、現在跡地は定かではありません。
首洗井戸


弁慶首塚と八王子社跡

弁慶首塚 常光寺本堂の裏にある墓地の隣の小さな広場に数基の庚申塔があります。その中に「弁慶塚」と刻まれた石碑があります。昔、この辺りに武蔵坊弁慶の御霊を祀った八王子社が建てられ、弁慶神輿が白旗神社の祭礼に担がれたといわれています。

亀形山

白旗神社を祀る山は旧東海道方面から眺めると巨大な亀の形に見えたところから、縁起の良い亀形山と名づけられました。社殿の後背地(聖園女学院)の山は亀の甲羅に当たり、鎮守の森が亀の頭になります。
亀形山


桔梗屋用紙株式会社

桔梗屋用紙の店舗です。国道467号線沿道には、東海道の宿場の名残を残す土蔵などが見られます。
桔梗屋用紙株式会社

小川泰堂居住笑宿庵跡

小川泰堂居住笑宿庵跡 医師小川天佑とその子泰堂の邸宅跡(1813頃〜1896)です。泰堂は藤沢の発展に尽力した医師で、この笑宿庵で、『高祖遺文録』や藤沢の古典地誌『我棲里』など多くの著作を執筆しました。藤沢本町郵便局脇の小道を行ったところにあります。


遊行寺橋(大鋸橋 だいぎりばし)

藤沢橋のすぐ側にかかっている遊行寺橋は、赤橋とも言われ、江戸時代には大鋸橋と呼ばれていました。安藤広重の浮世絵「東海道五十三次」の藤沢宿の橋は、現在の藤沢橋ではなく、この大鋸橋のことです。
現在の遊行寺橋遊行寺橋絵図


遊行寺

昭和26年には日本観光地百選に選ばれた名刹で、正中2年(1325)に創建の時宗の総本山です。境内には宝物館の他、小栗判官と照手姫の墓や国定忠治の子分である板割浅太郎の墓などがあります。
菊の御門と三葉葵が刻まれた中雀門は江戸時代のもの。梵鐘は延文元年(1356)のもので県指定重要文化財です。また境内中央の大イチョウは市指定天然記念物。
遊行寺

江戸方見附跡

見張所が設けられていた藤沢宿の江戸側の出入り口です。
江戸方見附跡


白旗神社周辺案内図

案内図

腰越の浜

無念にも義経公は死んで御首だけになっても鎌倉に入ることが許されませんでした。首実検を行った和田義盛と梶原景時は、「腰越状」で知られる義経ゆかりの万福寺そばの腰越の浜に御首は捨てました。そして片瀬浜の波間を漂い、上げ潮に乗って境川を遡り、支流の白旗川の川辺に漂着したと伝えられています。
腰越の浜


ページの冒頭へ

白王山 荘厳寺 源義経公首洗井戸と首塚の碑 弁慶首塚 上方見附跡 桔梗屋用紙株式会社 小川泰堂居住笑宿庵跡 遊行寺橋 遊行寺 江戸方見附跡