投稿日:2023年4月18日(火)
昨日、ワークマンで社務用の服を調達しました。安価で耐久性に優れた生地、普段使いも可能なデザインを兼ね備えた商品が揃っており、じっくり見ているとなかなか店から出られませんでした。しばらく服はワークマンで買うことになるでしょう・・・出仕の宇多です。
さて本日は、神社本庁より発行された『まほろば』に、國學院大學の現役学生でもある歌手の相川七瀬さんのインタビューが掲載されていましたので、紹介します。
伝統を繋いでゆく
女性ロックシンガーとして、日本の音楽界を牽引する相川七瀬さん。現在、彼女は神社に魅せられ國學院大學神道文化学部二年生として神道を学んでいる。そんな相川さんに神社との出会いと神社への思い、そしてなぜ神道を専門的に学ぼうと思ったのか語って頂いた。
神社との出会い―
相川さんは昭和50年、大阪府大阪市で生まれ、幼少期より神社との繋がりを感じていた。
「祖父が地元の神社の熱心な氏子で、今でもそこに行くと祖父が奉納した証の石柱などがあって、名前を見ることができます。子供の頃はよく境内で遊びましたし、お祭りのお手伝いに行ったり、七五三などの人生の節目に神社がありました。」
幼いころから神社を身近に感じていたそうだが、より意識するようになった場所がある。
「私が最初に興味を持ったのは春日大社です。私は大阪府出身ということもあり、子供の頃は遠足と言えば奈良県で、『春日さん』は子供の頃から近い存在でした。そして大人になって改めて春日大社に行くようになると、神社への興味が急に芽生えて、『古事記』なども読むようになりました。その中で『春日大社の神様がなぜ鹿島神宮(茨城県)や香取神宮(千葉県)にもお祀りされているのかな』と疑問に思ったのです。それで、鹿島神宮と香取神宮に参拝してみようと思ったのが26歳くらい。第一子を出産した頃です。神社に参拝するようになると、茨城県出身の夫まで『自分にも大事な場所だから』ということで参拝するようになりました。」
現在もお祭りへの参列や奉納と、神社への関心は尽きない。
「私は神社を巡ってゆくうちに、『日本っていいな』と本当に感じたのです。20代後半くらいから、日本にはこんなにすごくいいものがあるのに、今までの私は海外ばかり見ていたなという思いがありました。それで神社を巡りはじめたということが一つの根底にあります。それから、神社を理解するには田んぼだなと。一番上の子が学校で田植えを経験して、子供と一緒に田植えをしてみたらすごくいいのではないかと思い、千葉県多古町で稲づくりを一年間させて頂きました。その一年はとても豊かでした。田んぼはすごく手間がかかって、私たちが食べるまでには沢山の過程があり、お米が食べられる『ありがたさ』を知ったということもあったのですが、米づくりでの共同作業は現代社会で希薄になった『家族』を取り戻すのにもとてもいい経験だと感じたのです。」
『赤米』との出会い―
相川さんは、日本の稲作のルーツとされる赤米の保存と赤米に関す祭祀や伝統文化の継承を目的とした活動も続けている。そんな赤米と相川さんとの出会いを聞いた。
「稲づくりをはじめたころ、長崎県の対馬で日韓友好ライブがあって、私が日本側のゲストで出演いたしました。その時に対馬の古い神社を巡っていたところ赤米の田んぼを見つけたのです。『赤い稲穂があるんだ!』と衝撃を受け、近くを歩いていたおじいさんに『この田んぼは誰が守っているのですか』と聞いたら、『そこの家の人だよ、家に行けば話を聞かせてくれるよ』と教えてくださり、そのまま飛び込んでお話を聞きました。それが赤米との出会いです。」
「対馬の赤米と出会ってから鹿児島県の種子島や岡山県の総社市にも赤米があり、赤米に関する祭祀が行われていることを知りました。しかし、どの地域も過疎化の影響により、途絶える危機に瀕している。この大事な伝統を守るためにと活動を開始しました。」
相川さんは赤米フォーラムの開催や赤米伝統文化連絡協議会の設立に尽力している。
実はこの『赤米』との出会いが相川さんが國學院大學へ入学するきっかけとなった。
「対馬の赤米と出会ってお手伝いをしてゆくうちに赤米を中心とした『祭祀』に目が向くようになりました。この過疎地域のお祭りを守りたいなとか、地域を活性化したいなといった思いだけでは人々に伝わらない部分が出てきてしまいました。『祭りを守るために学ぼう!』これが國學院大學神道文化学部へ入学を希望するきっかけになりました。娘が小学生になる時に手が離れるので、仕事もセーブしながら、コツコツと勉強をはじめ、ここからは大学生になるというビジョンをもって五年以上かけて大学へ進学する準備をはじめました。」
その努力が実り、令和二年に晴れて國學院大學神道文化学部へ入学することとなった相川さんは、現在のキャンパスライフをこう語る。
「私は大人になってから自分の興味のある学部に入っていますから、全ての授業が新鮮で興味深いです。以前から興味のあった『古事記』の授業はもちろん面白いです。また、はじめは関心がそこまで無かった宗教考古学の授業を聞いてみると祭祀遺跡に神道の根幹とかルーツを感じられて、日本はすごく古い起源を持っているんだと、自分でも驚くくらいハマっています。」
全力でキャンパスライフを駆け抜ける相川さんは、目を輝かせている。
今後の展望―
大学生になった今、相川さんの目指す場所とは何か。
「私は歌手として、これまで皆さんにたくさん応援して頂きました。今度は自分が社会に還元する時が来たと思っています。神社、神道に触れる中で残念ながら過疎地域は増え続け、無くなってしまう伝統、文化があるかもしれません。だけど、日本の素晴らし伝統、文化を無くしてはいけない。そんな中で私がやれることは神社と人を繋ぐ何かだと思っています。情報化社会の中では発信する力が大事で、私の持つ発信力を日本人としてのあり方を伝えてゆくことに使ってゆきたいです。自分がメディアとなって訴え、伝統を繋いでゆく。こういった活動が私に課されているミッションなんじゃないかなと思います。」
そう語る相川さんには今後のビジョンがある。
「自分をメディアとして使って頂くためには自分も学ばなければいけないと思っているので、卒業後は『祭りと人をどう繋いでゆくか』というようなことについて研究したいと思っています。そのために大学院に進学したいですね。」
相川さんの「学び」はまだまだ終わらない。
神宮での思い出―
本年は伊勢の神宮のお神札である神宮大麻全国頒布150周年の記念すべき年を迎える。
相川さんに伊勢の神宮に対する関心や思い出についてお聞きした。
「伊勢の神宮には歌を奉納させて頂きました。同じ日に外宮、内宮の両宮で奉納の歌唱をさせて頂いたことは、本当に名誉で誇らしい思い出です。また、三年連続で伊勢神宮奉納全国花火大会のオープニングスターマインで曲を使って頂いたことも本当に光栄なことです。伊勢の地で神々へ奉納すること、伊勢を代表する花火大会で歌が使われたこと、こんなに幸せなことはないと思いました。それだけで皆さんに受け入れて頂けたということが伝わってすごく嬉しかったですね。」
伊勢の神宮へは先述の赤米を神宮神嘗祭へ奉納している。
日常の祈り―
こうした思い出だけでなく、大阪の実家や現在の住まいにも神棚をお祀りし、日々の暮らしの中で伊勢の神宮のお神札はもとより氏神神社、崇敬神社と共に神棚へ
感謝と祈りを捧げているそうだ。
「神棚は日常にあるもので、特別なものではないです。神棚をお祀りしていないかたは、どうか神棚を特別視せずに気軽な気持ち
ではじめて頂きたいです。」
ご家族も神社がお好きだという相川さん。
「私が神社に行くと言うと家族みんなついてきます。子供たちは鹿島神宮で行われる大寒禊にも参加しました。氏子さんだったり地域の人たちに出会ってかわいがってもらって、『〜のお祭りの時にまた会おうね』という形で神社の中のコミュニティというか、いろんな人に出会ったり、育ててもらったりしています。神社が身近にあるからか、子供たちもどんどん詳しくなってゆきます。いまでは『古事記』を語れるほどなんですよ。」
相川さんの日常には神社、神道がある。『日本っていいな』相川さんが感じた、日本の良いもの探しの旅は、家族と共に、いまや日常となっているようだ。
▽今日の弁慶藤
※(株)勝栄土建 渡邊様より、看板を交換していただきました!いつもありがとうございます。
▽義経藤