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【産経新聞記事のご紹介】昭和100年戦後80年「硫黄島 鎮魂の祈りをともに」

投稿日:2025年6月8日(日)


【暦で見る九星の運勢シリーズ】三碧木星:令和6年7月(各自の九星についてはブログ末尾の表をご参照ください)「吉方…東・南 一気に動こうとすると、歯車がずれるので、徐々に徐々に回転数を上げていくように努めてください。目先の事に惑わされそうですが、よく研究・観察して動くこと。急進・猛進は凶」とのことです…権禰宜の遠藤です。

さて、『産経新聞』令和7年4月6日(日)号掲載の特集記事「昭和100年戦後80年」より「硫黄島 鎮魂の祈りをともに」をかいつまんでご紹介致します。

大戦時には、多くの神職が戦地に赴き、散華されています。(戦後に女子神職が登場した背景にも、戦争未亡人の宮司夫人が氏子に請われて、宮司に就任した経緯が数多くあったそうです)

今もその方々の思いを引き継ぎ、各地の神社を護持しておられる神職が多くいらっしゃいます。

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WEB版記事で全文が読めます

【硫黄島 鎮魂の祈りをともに~叔父戦死の神職「一日も早く故郷へ」】

天皇、皇后両陛下が7日、先の大戦で日米両軍の激戦地となった硫黄島(東京都小笠原村)を訪問される。

終戦から80年を迎えて惨禍を直接、経験した世代は高齢化しており、天皇陛下は今年の誕生日に際した会見で、記憶や教訓を次世代へ継承する重要性に言及された。

硫黄島で叔父を亡くした宮城県仙台市の愛宕神社名誉宮司、郡山宗英(むねひで)さん(88)もその思いをともにしながら、鎮魂の祈りとともにご訪問を見守るつもりだ。

――以下記事要旨――

・郡山宗英さんの叔父、茂さん(享年32)

・昭和17年結婚直後に出征

・昭和18年宗英さんの父が病死後、神職だった叔父が愛宕神社を継ぐはずだった。

・詳細がわからないまま、昭和20年3月、硫黄島守備隊の玉砕が発表され、茂さんの戦死が伝えられた。

・戦死は3月17日とされ、死亡時刻は不明。場所も硫黄島方面と曖昧であった。

・遺骨は無く、骨壺には石が入っていた。

・一緒に過ごした時間が少なく、印象は薄いものの、宗英さんにとっては優しい叔父であった記憶がある。

・昭和20年7月10日、仙台空襲で神社にも焼夷弾が着弾したものの、不発であった。宗英さんの父・叔父の茂さんが守ってくれたのかも。

・宗英さんは一旦は自衛官を志したが、神職養成所に通いながら夜間高校を卒業し、宮司を継いだ。

・戦後80年。硫黄島には茂さんを含め、いまだ約1万1千の日本兵が眠っているとされる。

・日本政府は、懸命に戦った同胞の亡骸すべてを一日も早く、祖国に戻してほしい。そして孫、ひ孫の世代には、戦争の過酷な現実を知ってほしい

 

硫黄島には、未だ帰還の叶わないご遺骨が1万柱以上あるそうです。一日でも早く全ご遺骨が収集され、故郷へご帰還されますことを切に祈念申し上げます。

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