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【神社新報記事 「全国護國神社會連載⑤ わが社の御祭神~勲功・遺徳を次世代へ~」】長崎県護國神社
投稿日:2024年10月15日(火)
【暦で見る九星の運勢シリーズ】三碧木星:11月(各自の九星についてはブログ中の表をご参照ください)「吉方…南・北 加速すればするほど速くなるため、つい調子に乗りやすいので注意を。前進する事ばかりではなく止まる事や退くことも考えて。進むのみでは危ない。猪突猛進は凶意増す」とのことです…権禰宜の遠藤です
さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』の連載記事、「全国護國神社會連載 わが社の御祭神~勲功・遺徳を次世代へ~」をご紹介致します。
全国の護国神社の宮司さん方が連載する企画で、来年令和7年に大東亜戦争終戦より80年を迎えるにあたり神社新報に継続的に連載されます。
当社が鎮座する神奈川県は、47都道府県で唯一護國神社がありません。各県護國神社にお祀りされている英霊のことについて、当ブログをご覧の皆様に少しでも知っていただく意味でも、できる限りご紹介していきたいと存じます。
「全国護國神社會連載 わが社の御祭神~勲功・遺徳を次世代へ~
〈戦地からの帰りを待ち詫びる日々 長崎県護國神社宮司 村田 仁〉
閑散とした、半農半漁の小さな郵便局。そこに勤務してゐた馬場公吉命の元に、赤い手紙が届けられた。「おめでたうございます。招集です」。その場にゐた人は言葉を失った。「お国のため」であるから「嫌だ」とは言へない。しかし馬場家は大黒柱がゐなくなることへの不安を隠せなかった。公吉命は招集されてすぐ、大村に配属。訓練期間も短く、帰ることも許されなかった。「会ひたい、子供たちを見せたい」といふ一心で、妻のツナさんは二人の幼い子供を連れ、長い時間をかけて面会にいったといふ。面会時間はあっといふ間に過ぎ、戦地も出発する日もわからない状況。「”これが最後の別れになるのではないか”といふ考へが頭をよぎる面会に、母の心境は穏やかではなかったと思ふ」と息子の栄治氏は語る。
家族が待ち焦がれる手紙が、戦地から届いたのは昭和十九年二月。「ビルマ派遣菊第八九〇二部隊河井隊」と書かれてゐた。同部隊が所属する歩兵第五十五連隊は、ビルマ侵攻作戦、ウ号作戦(インパール作戦)、八号作戦、旧号作戦などに従事した連隊。栄治氏は「優しかったといふ父。家族を想ひ、望郷の念に駆られ、唯々生きて帰ることだけを願ってゐたと思ふ」と思ひを馳せた。
公吉命は、ビルマ国ペグ―県クンゼイク西方シッタン河にて昭和二十年四月十二日に三十二歳で歿した(とされる)。終戦の四か月前、真っ白な布で覆はれた白木の箱が船で運ばれてきた。中に形見の物は何ひとつなかったさうで「母の悲しみ、落胆はいかばかりだっただらう」と語る栄治氏。「母は残された二人の子供を周囲に笑はれないやう立派に育てると、亡き父に誓ってゐた」と教へてくださった。
その後、戦地から帰還した戦友が訪ねて来てツナさんに戦地での様子を教へてくれたことがあったといふ。戦況については「熾烈を極めインパール作戦で日本軍は全滅、物資は届かず食糧はなく、飢ゑに苦しみ病に倒れ、撤退に次ぐ撤退」で、公吉命は「通信兵で後方部隊と一緒にシッタン河を渡るとき、敵機の機銃掃射を受けて、行方不明になった」さう。「後から探したがお会ひすることができなかった」と戦友は漏らしたといふ。
「それでも母は”何処かにきっとゐて、生きて帰ってくる”と、九十九歳で亡くなる寸前まで待ち続けてゐた」と栄治氏。「私自身も戦後、帰還兵が帰ってくるのを見て、父も帰ってくるものと思ひ、顔も知らないのに、”あったら何を話さう”と真っ先に出迎へに飛んで行った。帰らぬ父を待ち焦がれた日々だった」。どれだけ公吉命に逢ひたかったか、想像に余りある。
公吉命の出征後から、ツナさんは義父と朝早くから夕暮れまで必死に畑仕事をし、一家の生計を支へ続けた。家族は家でできた麦や芋を主食に、近海で獲れる鰯をおかずにしてお腹を満たしたといふ。「お盆やお正月に食べる白いお米が美味しくて」と栄治氏は振り返る。また学校は先輩から譲ってもらった教科書を持って行ったといひ、「擦り切れて大きく縫ひ合はせたズボンを履き、得意になって遊んでゐた」と笑った。
最後に、物のない苦しい時代も過ごした栄治氏が、今抱いてをられる想ひを紹介したい。「戦後も八十年近くになると、戦歿者遺族も高齢となり苦しかった戦前、戦後の悪夢は平和ボケで薄れてしまってゐるやうだ。戦争を知らない若者が半数を占める今日、祖国を想ひ、家族を案じ、国の礎となられた戦歿者の無念を、あの筆舌に尽くしがたい悲惨な経験を伝へていきたい。次の世代を担ふ若い人たちには、平和のありがたさを知り、歴史を見直し戦歿者への慰霊にも努めてほしい」。栄治氏の想ひに応へられる奉仕をしていきたいと、胸に誓ふ。
長崎県護国神社
住所:長崎市城栄町一-六七
電話:〇九五-八四四-三二二一
祭神:長崎県にゆかりのある御英霊六万八百余柱
例祭:春(四月二十二日)、秋(十月二十六日)」