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【神社新報記事 「全国護國神社會連載⑦ わが社の御祭神~勲功・遺徳を次世代へ~」】愛知縣護國神社

投稿日:2024年11月10日(日)


【暦で見る九星の運勢シリーズ】三碧木星:令和6年12月(各自の九星についてはブログ末尾の表をご参照ください)「吉方…南西・北 忙しいばかりで、諸事まとまらずバラバラになりそうですが、短気を起こさず時をかけても堅実に歩んで。来年の為の準備と思って大いに努力を。結果は後からついてくる。」とのことです…権禰宜の遠藤です。

さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』令和6年10月14日号掲載の連載記事。「全国護國神社會連載 わが社の御祭神~勲功・遺徳を次世代へ~」をご紹介致します。

全国の護国神社の宮司さん方が連載する企画で、来年令和7年に大東亜戦争終戦より80年を迎えるにあたり神社新報に継続的に連載されます。

当社が鎮座する神奈川県は、47都道府県で唯一護國神社がありません。各県護國神社にお祀りされている英霊のことについて、当ブログをご覧の皆様に少しでも知っていただく意味でも、できる限りご紹介していきたいと存じます。

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【全国護國神社會連載 わが社の御祭神~勲功・遺徳を次世代へ~】

「〈今につながる兄弟の強い絆〉

愛知縣護國神社宮司 笠井 剛

当社では二人兄弟の御祭神を紹介する。兄の松浦教憲命・弟の義一命。小牧町(現在の小牧市)出身で、二人は年子である。

教憲命は昭和十三年一月に入隊し、義一命は一年後の九月に入隊する。二人は偶然にも外地で歩兵第二百二十八連隊に属し、南支那では時々兄弟同士で会ふことができたとのこと。昭和十六年大東亜戦争勃発後、南方へ転戦し、兄弟ともにソロモン群島ガダルカナル島に上陸したが、時に米軍が反撃体制を整へ、制空権・制海権を掌握してをり、日本の兵士には食料や弾薬が届かず、飢餓と病気に苦しむこととなった。

上陸して二カ月後には、「餓島」と呼ばれるやうに。約三万人ゐた日本兵のうち、約二万人が餓死同然の戦場となってしまった。昭和十八年一月十日に弟の義一命が戦病死、享年二十五歳。その五日後の十五日、第一線にゐた兄の教憲命は火焔放射器の攻撃を受け戦死、享年二十六歳だった。

このたびこの二柱の御祭神について末の弟である正明氏に伺ふことができた。とても可愛がってくれて、リヤカーの荷台に乗せてもらって遊んだといふ。「兄弟の性格は真逆で、教憲は活潑的で剛健、義一は大人しく優しかった。とくに義一は出征前、陸軍造兵廠熱田工廠医務課に勤務してをり、規制の際、きよめ餅や少年画報を買ってくれるなど優しい兄だった」とその面影を振り返る。

父親に連れられ、外地へ派遣される長兄の見送りに岐阜駅に行ったときのこと。ホームは見送りの人で一杯。やうやく列車の反対側の窓際に座ってゐた長兄を見つけるも「窓越しに、『元気でやれよ』『お父さんも元気でね』『父さん母さんを頼む』と互ひに目を交はす無言の見送りだった。時折あへて目を反らし、涙目を手で覆ふ姿を今でも記憶してゐる」と切なさうに語った。

翌年は、外地へ向かふ次兄の見送りに名古屋駅へ。「父に抱き上げられ、遠ざかる列車に小旗を振った」と思ひ出す。

二人とも戦地に行っても、家族宛に約百五十通にも及ぶ手紙を送ってくれ、近況を報告してくれたさう(南支で撮った兄弟の写真)。しかし再会を果たすことなく戦死した。戦死の公報が届いたのは、それから半年も経った八月半ばだったといふ。

義一命が出征したちゃうど三年後の昭和十八年十一月二十九日、名古屋市公会堂で合同慰霊祭が執りおこなはれた。時折、言葉を詰まらせながら、正明氏はかう語る。「祭壇に供へたある白布で包まれた両兄の遺骨を父と小学校六年生だった私が受け取り、帰路についたが、本当に辛かった。わが家は小牧町で二人の戦歿者を出した最初の遺族で、町民の同情を誘った。家族団欒の灯が瞬く間に消え、人前で決して涙を見せなかった父と毎日泣いている母、親子三人の暗い生活が続いたことは忘れもしない」。

正明氏は、「今日まで元気で生活できるのも、両兄のおかげ、神仏のおかげ。齢九十歳となり、兄さまの分まで長生きさせてもらってゐる」と語ってゐた。二人の御遺徳を偲ぶため、これまで戦友会に積極的に参加し、七回に及ぶガダルカナル島への慰霊訪島を重ね、地元小牧市遺族会会長、愛知県遺族連合会常任理事の要職に就き、遺族活動を牽引する立場で活躍された。生死を越えて今もなほ兄弟の強い絆を感じる。

終戦八十年を目前として、ご遺族の取材を通し、御祭神の生きた証に触れることができた。そこにゐたのは、家族思ひのごく普通の人といふ身近な存在。御祭神のお一人お一人にそれぞれの人生があった。残された御遺族の御祭神に対する強い思ひを肌で感じ取り、胸が苦しい。さうしたことを知る機会がなくなりつつある昨今、自分自身、神明奉仕の使命といふものに改めて立ち返る機会となった。

愛知縣護國神社

住所 愛知県名古屋市中区三の丸1-7-3

電話 052(201)8078祭神 九万三千余柱

例祭 4月28日~30日・10月28日~30日」


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
ぜひ早起きした朝やお休みの日にでも、お気軽に当社にお越しください。皆様のご参拝を心よりお待ちしております。