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【神社新報記事 「全国護國神社會連載 わが社の御祭神~勲功・遺徳を次世代へ~」】福島縣護國神社
投稿日:2025年1月26日(日)
令和7年のブログには初登場、権禰宜の宇多です。年末年始は神職の全員が病欠することなくご奉仕できました。改めまして本年もよろしくお願いいたします。
さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』令和6年11月11日号掲載の連載記事。「全国護國神社會連載 わが社の御祭神~勲功・遺徳を次世代へ~」をご紹介致します。
全国の護国神社の宮司さん方が連載する企画で、本年令和7年に大東亜戦争終戦より80年を迎えるにあたり神社新報に継続的に連載されます。
当社が鎮座する神奈川県は、47都道府県で唯一護國神社がありません。各県護國神社にお祀りされている英霊のことについて、当ブログをご覧の皆様に少しでも知っていただく意味でも、できる限りご紹介していきたいと存じます。
全国護國神社會連載 わが社の御祭神~勲功・遺徳を次世代へ~
「〈「婚約者からのマフラー」〉
福島縣護國神社宮司 冨田 好弘
「大正十一年二月十三日に福島県耶麻郡駒形村(現・喜多方市塩川町常世)に穴澤利夫命は生まれた。幼い頃から読書が好きで将来の夢は故郷に児童図書館を設立することだったといふ。そのため文部省図書館講習所に進学。卒業後は、中央大学法学部に進学して東京歯科医学専門学校の図書館の司書としてアルバイトをしてゐた。そこへは文部省図書館講習所の後輩たちが自習に来てをり、その中に後の婚約者となる二年後輩の智恵子さんがゐた。
二人は昭和十六年頃から手紙での交際を始めたが、二年も経たないうちに穴澤命は中央大学を卒業し、志願して第二十振武隊特操一期生として入隊する。その二年後に正式に二人は婚約をしたが、僅か一か月後の四月十二日に鹿児島県の知覧特攻基地を穴澤命は一式戦闘機「隼」で出撃。二十三歳で沖縄周辺洋上にて散華され、死後二階級特進で大尉となった。
穴澤命は婚約者の智恵子さんと面会の折りに「マフラー、貸してくれる」と言って、彼女が首に巻いてゐたマフラーをもらったといふ。「神聖な帽子や剣にはなりたくないが、替はれるものならあの白いマフラーのやうに、いつも離れられない存在になりたい」といふ彼女の一途な思ひに応へ、命はそのマフラーを彼女の身代はりとして、白い飛行マフラーの下に巻いて出撃した。
出撃を見送った知覧高等女学校三年生奉仕隊の前田笙子さんの日記には、かう記されてゐる。「二〇振武の穴澤機が目の前を行きすぎる。一生懸命なお別れのさくら花を振るとにっこり笑った。きりゝ鉢巻姿の穴澤さんが何回と敬礼なさる。(中略)特攻機が全部出て行ってしまふとぼんやり飛行機の去ったのも知らぬかの様立って南の空を何時までも見てゐる自分だった。何時か目には涙が溢れ出てゐた」。
穴澤利夫命 辞世の句
「ひとりとぶも ひとりにあらず ふところに きみをいだきて そらゆくわれは」
このマフラーは、二度と智恵子さんの元には戻らなかった。
戦死した四日後、智恵子さんに遺書が届いた。「婚約をしてあった男性として、散って征く」と締めくくられてゐた。
智恵子さんは戦後、この遺書と遺影と生前に口にくはへた煙草の吸殻を大切にしながら、幾多の困難を乗り越えて、平成二十五年に永眠された。
お二方はきっと六十八年ぶりにマフラーとともに再会し、笑顔で話されてゐるものと拝察する。そして間もなく迎へる戦後八十年、改めてお二方の御霊安かれと祈りつつ。
福島縣護國神社
住所 福島市駒山一
電話 024(535)0519
祭神 68500余柱
例祭 春(4月23日)、秋(9月23日)」