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【神社新報記事 「全国護國神社會連載 わが社の御祭神~勲功・遺徳を次世代へ~」】讃岐宮香川縣護國神社

投稿日:2025年3月16日(日)


料理のレシピで「塩ひとつまみ」とは、親指と人差し指の2本ではなく中指も入れた3本であることに衝撃を受けました・・・権禰宜の宇多です。

 

さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』令和6年12月16・23日号掲載の連載記事。「全国護國神社會連載 わが社の御祭神~勲功・遺徳を次世代へ~」をご紹介致します。

全国の護国神社の宮司さん方が連載する企画で、本年令和7年に大東亜戦争終戦より80年を迎えるにあたり神社新報に継続的に連載されます。

当社が鎮座する神奈川県は、47都道府県で唯一護國神社がありません。各県護國神社にお祀りされている英霊のことについて、当ブログをご覧の皆様に少しでも知っていただく意味でも、できる限りご紹介していきたいと存じます。

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全国護國神社會連載 わが社の御祭神~勲功・遺徳を次世代へ~

勇ましくて立派な兵隊さん

讃岐宮香川縣護國神社宮司 金森 重昭

「気は優しくて、力持ち」―そんな言葉がぴったりだったといふ増田正一命。農業に従事してゐたが、二人で担ぐやうな重さの足踏脱穀機を一人で肩に担いで運んでしまふほどの力を持ってゐたといふ。砲丸投げをやってゐたこともあると聞き、合点がいった。

そんな正一命と妻・ヒデさんの間に生まれたのが、今回お話を伺った榮作さん。長男が幼少期に堀に落ちる事故で無くなってしまひ、その後に生まれた子であるといふ。「小さい頃は、近所の子供たちと一緒にお宮さんの広場でかけっこするなどして遊んでゐました」と懐かしさうに幼少期を振り返る。

そんな活潑な榮作さんを残し、正一命は支那事変に際して出征することに。当時四歳だった榮作さんは、坂出港の西岸壁に母や祖母のコヨシさん、親戚の皆さんと一緒に見送りに行った時の光景を今も鮮明に覚えてゐるといひ「はしけ船(陸と停泊中の本船との間を往復して旅客などを運ぶのに用ゐる小船)に、兵隊さんを分乗させ、本船まで運ぶ方法でした。輸送船の横腹に大きい水車(外輪)がついてゐる船でしたので強く印象に残ってゐます」と話してくださった。

その後二年の期限が過ぎて満期除隊となり、正一命は久しぶりにわが家と帰省することとなる。「帰ってきた父は、肩に金筋が入った軍服が、すごく勇ましく立派な兵隊さんでした」と榮作さん。「お父さんお帰りなさい、お疲れさまでした」と皆で迎へたといふ。

除隊後しばらくは、農業に専念。家族で暮らす幸せな時間が流れていった。しかし戦争の状況は日に日に厳しくなっていき、昭和十九年六月、つひに正一命にも召集令状「赤紙」が届く。「ちゃうど、麦刈りと脱穀、麦わらだほし、牛による耕起が終はった頃の入隊でした」と榮作さんは切なさうに語る。その後、正一命が家に戻ってくることはなかった。

正一命は第七十九旅団作業隊に入隊。第百三師団に所属してゐた部隊だ。向かった先はフィリピン。戦歿場所は比島ルソン島マニラ北方四十キロとあることから、ルソン島での戦ひに従事したとみられる。この地は制空・制海権を奪はれており、補給も跡絶えていた。兵士には「自活自戦・永久抗戦」との命令が下されてゐたといふから、飢ゑに苦しみながらの戦ひを強ひられてゐたのだらう。またマラリヤやデング熱で苦しむ人も多かった。正一命は昭和二十年八月三日に戦病死とある。詳細はわからないが、病と闘ひ続け苦しい思ひをしたのだらうか・・・・・・この平和な今では、とても想像がつかない。

かうして、英霊をとほして当時に触れることで、改めて英霊祭祀の大切さと向き合ふことができたやうに思ふ。榮作さんのやうに、今でも当時の話を聞かせてくださる御遺族がゐることに感謝し、奉仕を続けていきたい。そして英霊顕彰を繋ぐ術を見出していきたい。

 

讃岐宮香川縣護國神社

住所 香川県善通寺市文京町四-五-五

電話 〇八七七-六二-〇〇四八

祭神 香川県出身の英霊三万五千七百余柱

例祭 五月五日・十一月五日」

 


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
ぜひ早起きした朝やお休みの日にでも、お気軽に当社にお越しください。皆様のご参拝を心よりお待ちしております。