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【神社新報記事】 「全国護國神社會連載 わが社の御祭神~勲功・遺徳を次世代へ~」北海道護國神社

投稿日:2025年5月27日(火)


【暦で見る九星の運勢シリーズ】八白土星:令和7年6月(各自の九星についてはブログ末尾の表をご参照ください)「吉方…南 好調な運気に恵まれて、運気充実し余力が出来そうです。但し用い方を間違えると、流れが変わるから、余力は無駄に遣わず、大切に用いて。足元の強化・充実する事も一案」とのことです…権禰宜の遠藤です。

さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』令和7年3月17日号掲載の連載記事。「全国護國神社會連載 わが社の御祭神~勲功・遺徳を次世代へ~」をご紹介致します。

全国の護国神社の宮司さん方が連載する企画で、本年令和7年に大東亜戦争終戦より80年を迎えるにあたり神社新報に継続的に連載されます。

当社が鎮座する神奈川県は、47都道府県で唯一護國神社がありません。各県護國神社にお祀りされている英霊のことについて、当ブログをご覧の皆様に少しでも知っていただく意味でも、できる限りご紹介していきたいと存じます。

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全国護國神社會連載 わが社の御祭神~勲功・遺徳を次世代へ~

慕はれる人柄 七回「感状」授与され

北海道護國神社宮司 小野 雄一

軍神

「屯田兵として京都から北海道上川郡東旭川村(現・旭川市東旭川)に入植した父母の末子として明治三十六年に生誕した加藤建夫命。旭川中学(現・旭川東高等学校)を卒業し、大東亜戦争時には戦隊長として「加藤隼戦闘隊」こと飛行第六十四戦隊を率ゐ、一式戦闘機「隼」をもって活躍した陸軍航空部隊を代表するエースパイロットである。

そのエースパイロットとしての活躍と、温厚で部下想ひの人格・人徳ゆゑ、部下からは生前より「軍神」と尊敬されてゐた加藤命。しかし自身の撃墜数は、必ずしも突出した数ではなかった。

それもそのはず、加藤命は戦隊長として、常に部隊全体・任務全体を考へることに重きを置いてゐた。部下たちにも「何機撃墜できたかと聞かれたら、部隊の撃墜数を述べよ」と、個人撃墜数を競ふことを禁じてゐる。とくに単機の独断行動については強く諫めた。華やかな空中戦に熱中するのではなく、空を抑へて爆撃機や陸上部隊の進行を容易にするといふ戦闘機本来の役割に徹したのだ。

「隼」は急いで開発されたため、さまざまな欠陥があり、何よりも次々生産・配備される米英機と比べると、その数は大幅に下回ってゐた。また、海軍の「零戦」には速度も戦闘能力も及ばず、不利な条件ばかり。にも拘らず、支那で多くの実戦を経験し戦闘全体の戦果を重視する加藤命の方針通りに動ける第六十四戦隊のパイロットたちの技量は、米英や多の部隊より優れてゐた。

加藤命の最期は昭和十七年五月二十二日、自身が四十歳の時だった。ビルマ(現・ミャンマー)沖上空で敵の爆撃機を撃墜するも、敵機の銃弾により愛機の右翼が被弾発火。帰還の見込みなく、ベンガル湾の海面に突入し自爆戦死した。

翌日の新聞は加藤命を讃へる記事で全面が埋められた。その後、書籍化・映画化もされ、作られた歌も多い。戦闘で甚だしい功績があった軍人には「感状」といふものが与へられるが、通常何度ももらへるものではない。加藤命は、これを一人で七回も授与され「日本陸軍建軍以来最高の記録」となった。戦死により「陸軍将校初の二階級特進」も成し遂げ、加藤命は名実ともに「軍神」と讃へられたのである。

北海道護國神社

住所 北海道旭川市花咲町1-2282-2

電話 0166-51-9191

祭神 北海道全域、樺太関係の国事殉難者六万三千百五十九柱

例祭 6月4日(宵宮祭)、5日(慰霊大祭)、6日(後日祭)」

s-R7厄年表


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
ぜひ早起きした朝やお休みの日にでも、お気軽に当社にお越しください。皆様のご参拝を心よりお待ちしております。