投稿日:2019年8月27日(火)
【暦で見る九星の運勢シリーズ】三碧木星:9月(各自の九星についてはブログ末尾の表をご参照ください)
「吉方…なし 前半は順調ですが、後半より向かい風が強くなってきて、少し戻されそうになりそうです。今は足元が弱く不安定になりやすいので、前に進むよりも内容の充実を優先することが吉」だそうです…権禰宜の遠藤です
さて、神社界唯一の業界紙である『神社新報』令和元年7月15日号掲載のコラム「杜に想ふ」をご紹介致します。
【杜に想ふ~校閲畏るべし~】
「今月の京都は八坂神社の祗園祭で大層な賑はひであらう。
前の一文で赤ペンを手にしたくなった方は校閲の素養をお持ちかもしれない。正しくは「祇園祭」だ。
神祇の「祇」と祗候の「祗」は別字。「祇」は書体によって偏が「ネ」となるので、それを嫌ひ「示」の字形を探したのだらうが、偏の「ネ」は単に「示」を崩した形である一方、「氏」と「氐」は字種が異なる。矯角殺牛だ。しかし中には「祗」を正式とする固有名詞もあって、校閲泣かせである。
ときに編輯業も担ふ身ゆゑ、日常でも印刷物の微瑕が目についてしまふ。主演俳優がとても素晴らしかった校閲が主題のドラマでもあったが、一種の職業病だ。粗探しそのものなので、あの地味どころかスゴく美しい俳優でなければ煙たがられるだけだが。
先日、とある漫画を頂戴したときも思はず朱筆を執ってしまった。年号を扱った学習漫画だ。その歴史の解説部分に、年号は大化から「一四〇〇年余」にわたり用ゐられてきた、とあったのである。心中で「四」にそっと斜線を引き、脇に「三」と書き入れた。大化建元は西暦六四五年。二〇一九引く六四五は一三七四。余らない。むしろ足りない。
新聞、雑誌、書籍など媒体にもよるが、この辺りの赤字はまだ確信を持って入れられる。しかし解釈の域になるとかうもいかない。校閲では、表現や事実関係に疑義がある場合、それを黒鉛筆で指摘する。これを「疑問出し」といふ。
先日、とある冊子を頂戴したときも思はず鉛筆を執ってしまった。大嘗祭を扱った英文冊子だ。その悠紀・主基地方の卜定の解説部分に、約千年前の宮廷は「crisis」に直面するたび亀トをおこなった、とあったのである。古代の朝廷では天皇の身体の吉凶判断や伊勢の斎王の選定などが亀トの恒例だったが、それらは「危機的状況」なのだらうか。さう思ひ訳出元の和文冊子を読むと、「朝廷の大事」とあり、齟齬の経緯を察した。
さらに編輯者目線で考へると、絶滅が危惧される動物を用ゐた占ひを外国一般に向けて”紹介するなら、表現や内容には相当の注意を払ひたい。異文化相手に単なる翻訳では、あらぬ誤解や嫌悪感を与へかねない。
杞憂だらうが、インバウンド対策で各地の社寺や文化財解説の翻訳が進むと、さうしたことが頻出するのではないか。日本人でも「祇」と「祗」を誤る。どれほど日本文化に精通した翻訳家に任せても、校閲しなければただの丸投げだ。この校閲人材は貴重だが、あの俳優でないから煙たがられるだけ。そも翻訳では不十分な場合もある。文化庁も多言語化の手引きを最近示したが、その周知のほどはいかばかりか。もっとも今さらその理解に努めてゐるやうでは、後の祭りか。」