投稿日:2021年12月9日(木)
昨日とは一転、暖かな日中ですね。各種作業もはかどります…権禰宜の遠藤です。
さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』令和3年11月29日号掲載のコラム「神宮だより」をご紹介致します。
【神宮だより~伊勢の御師~】
「中世末期には活動してゐたとされる伊勢の御師は、近世に最盛期を迎へ伊勢信仰を全国に広めました。
また宇治・山田のまちづくりにも貢献しましたが、明治時代になると神宮の改革がおこなはれ、明治4年7月に御師制度は廃止されました。令和3年は御師制度廃止から150年の節目にあたるため、伊勢市内では「御師フォーラム2021」などの記念行事がおとなはれてゐます。御師と呼ばれる人はどのやうな人々だったのでせうか。
一般的に「御師」とは特定の社寺に所属して参詣者と師檀関係を結び、祈橋や宿泊・案内などを世話する者とされてゐます。伊勢の御師には四つの階級があり、神宮家、三方家、年寄家、平師職に大別され、また神職を兼業する家もありました。
檀家は一般の人々から大名、将軍家、朝廷にまでおよび御師の階級によって受け持つ檀家もわけられてゐました。檀家には毎年「御祓大麻」と呼ばれる御札の配札や土産として伊勢暦や熨斗鰒、伊勢海老などを配布し、また祈願祈繕をおこなひ参宮時には案内をおこなふことで伊勢信仰を全国に広めています。
御祓大麻は五種類ほどあり形や大きさに違ひがあったとされてるます。御師は近世になると八百軒を超えてゐたといふ記録もあり、宇治・山田における御師の興隆が窺へます。
また、御師は山田奉行管下の自治組織をつくり、宇治には「宇治会合」、山田には「山田三方」があり、それぞれの町の民政をおこなひ門前町全般に影響を及ぼしてゐました。さらに朝廷・将軍家・大名といった有力な人との繋がりから学問や芸能といった文化を取り込み、伊勢の文化も育てた町衆であり、さまざまな側面をもってゐたことも伊勢の御師の特徴といへます。」