投稿日:2024年8月3日(土)
プライベートな話で失礼します・・・私の母校、山口県立南陽工業高校が甲子園に出ることが決定しました!夏は実に14年ぶり、春も含めると8年ぶりだそうです。今では珍しい公立の工業高校として胸を張って、思う存分暴れて来て欲しい限りです・・・権禰宜の宇多です。
さて、本日のブログではいよいよ最終日を迎えました、初任神職研修の4日目の様子をお届けします。
〇祝詞
今回の講師の金子先生も、他の先生と同じく宮司を務めていらっしゃいます。ですので、「祝詞」の講義ではあったものの、先生の経験談を拝聴する時間も多くありました。先生は「すぐ講義から脱線しちゃうからいかん」と自責されておりましたが、先生も現役の神職であること、初任研らしい講義の形だと思いますので私は脱線大歓迎です。
最初はプリントが配布され、問題を解く時間が設けられましたがその内容がかなり難しく・・・大學で祝詞の単位を何とか取得できた私でしたがかなり苦戦を強いられ、答え合わせでは散々な結果に。「中学高校の古文の授業からやり直せ!」と神様にお叱りを受けた気分になりました。
また、昭和50年代にビルの竣工と同時に規模を縮小した銀座の「八官神社」で先生が助勤奉仕した話を聞くことができました。先生が助勤奉仕したのはビルができる前、まだ祭式を行うに十分な広さをもつ社殿が存在した頃だそうです。銀座に鎮座するという土地柄、様々なオフィスやホールで出張祭典が行われ、ある祭典では準備物の中にその日に使用する祝詞が入っていなかったことがありました。しかし、金子先生は頭の中で祝詞を作文して即興で奏上したそうです。講師クラスになるとこのような離れ業ができるのか、と感動しました。
〇教化概論
真鶴の貴船神社の権禰宜を務めておられる平井倫行先生の「教化概論」の講義では、私が社家として神社管理において危惧していることがハッキリと言語化され、諸問題の解決方法や祭の計画についてどのような心意気で取り組むべきか、どこに着目して教化に繋げればよいか、など非常に分かりやすく解説して下さいました。
我々神職が教化活動をするにあたって、まず我々自身が「人間として望ましい有り様」を各々考えてイメージしておくこと、その上で「個人性(人づくり)」と「公共性(国づくり)」の両輪を意識することを基本的な目標にせよ、とご教授いただきました。次に平井先生自身が神職として奉仕する中で具体的に何に取り組んでいるかリアルな話をしていただきました。
具体的に何を教わったか全て書き出すとブログとしてまとまりがなくなりますのでここでは軽く触れることに留めておきます。我々神職が教化を行う手段の一つとして、祭りの規模を大きくする、境内を利用して催しを行うなどがよく挙げられます。これには、神社に人を呼び込み、神社が身近な存在だと感じてもらう意図が主です。しかしこの講義では、ただ単にこうして人を呼び込んだ上で、作った人流を留めることも意識しなければならないと学びました。神社に対して身近な存在だと認識、親しみを感じたその次にどうするか、ですね。祭の新しい担い手を確保すること、神社を管理する者(神職・総代)が狙いとなってきます。白旗神社で例えるなら神輿の担ぎ手を確保することがこれに近いです。その次のステップは、その祭や神社管理を持続可能なものとするように形態を整えることまで考えなければならないようです。私は今まで人流さえ作ればよい、と浅いラインしか考えておりませんでしたので、この講義を受けることによって今後の神社運営の見方に新しい視点を付け加えることができるようになりました。
〇神職奉務心得
箱根神社 禰宜の柘植先生により、同名テキスト「神職法務心得(資料集)」をもとに講義が進められました。この資料には古代から現代に至るまでの神社に関する法律やその時代ごとの首長による御触書、神職が日々の奉仕で心掛けることがまとめてあります。最も古い資料では『続日本紀』所収、聖武天皇の詔が掲載されております。この詔では、「七道の諸国」=「日本全国(街道を指して表す)」の国司に対して神社を清潔にすること、神祇を篤く崇敬することを強く伝えています。「七道の諸国」は街道を表しますが、「五畿」=「畿内」が含まれていないのは、聖武天皇のお膝元に近い地域である畿内ではそれが当然であろう、という聖武天皇の意思が良く表れているそうです。この詔に始まり、鎌倉幕府の「貞永式目御成敗式条」等へと続きます。基本的にこれらはほぼ、「神社を清潔にする」旨が記してあります。他には神職が潔斎をして(これは人間の身を清潔にすることですね)慎んで祭祀に臨むことや服装の規定や神社の損壊に関してどのように対応すべきか・・・など、それぞれ当時は神社がどのような状態、扱いであったかを読み取ることができて面白い講義でした。
最新のものでは岐阜県神社庁発行の『神職手帳』に所収された「神職奉務心得」が挙げられていました。第五章一項には「社殿及境内の清潔修理に注意し、神社の尊厳保持に努めること」とあり、当然ながら「神社を清潔にすること」について触れています。やはり神社において清浄ということがいかに優先されるべきであるかよく分かりますね。また現代らしく、宗教法人法を参考にしたであろう注意点のほか、白衣の下には白以外の下着は避けることや、白衣を着た状態で品位を欠くような行動は慎むことが記されておりました。例えばコンビニに着物で立ち入ること(※立ち読みは言語道断!)を避けるように、と先生が解説して下さいました。このようなかつて不文法であったことがあらゆる面で明文化されていったのもこの時期であります。この『神職手帳』は昭和51年発行で、同じように明文化を図った神社本庁憲章は昭和55年に施工とされています。高度経済成長期からバブル期の間ですね。また、津地鎮祭訴訟もこの辺りの年。斯界において昭和50年代は動乱の時期であり、神職の品性が改めて問われていたのかもしれません。
全ての課程を終え、研修生22名全員が無事に修了奉告祭を迎えることができました。
研修生の面々は見知った顔もあれば、初対面の方がほとんどでした。彼らとは今後、神道青年会や各種研修などで再会する間柄となります。そのため懇親会では全員と杯を交わし、各々の抱える思い、奉仕状況・エールを交換することで、自分のものと照会し、神奈川県内の神職としての自覚を深めるに至れました。
主催者である神奈川県神社庁研修所、講師の先生方に感謝し、日々の神明奉仕に励みたいと思います。
▽約1か月後、7月1日付で権禰宜を拝命いたしました。同月22日に神奈川県神社庁において辞令伝達があり、これはその後の権禰宜就任奉告祭の様子です。