投稿日:2025年2月15日(土)
【暦で見る九星の運勢シリーズ】四緑木星:令和7年3月(各自の九星についてはブログ末尾の表をご参照ください)「吉方:南東 運気やや低調傾向の暗示あり。前進する時と交代する気が入り混じって、行き違い・食い違いが多くなりそうですが、感情的にならず冷静に。カッカカッカすると、ミスを招く」とのことです…権禰宜の遠藤です。
さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』令和6年10月28日号掲載の特集記事、「刀剣は語る その伍拾弐~小樽の榎本流星刀~」をご紹介します。このシリーズも既に50回を超えているのですね。全てをご紹介しきれていないのですが、刀剣好きの方も大勢いらっしゃるので、なるべくご紹介していきたいと思っております。
「刀剣は語る その伍拾弐~小樽の榎本流星刀~
初めて訪ねた北の大地。北海道にはどのやうな刀が伝ってゐるのでせう—。
北の海の重要な拠点港として栄えた小樽。観光客で賑はふ小樽駅から五分ほど、静かな住宅地の丘に町を見守ってきた神社が鎮まります。北海道開拓使にも仕官した明治政府の要人・榎本武揚公が明治九年、小樽の開拓にあたり人々の心の拠り所として創建した龍宮神社です。
御祭神として祀るのは、海運の町にふさしい三柱の綿津見神、移民の人々の食を守る豊受姫神、良縁を願ふ大物主神、医療の大毘古命、そして榎本公の遠祖・桓武天皇。榎本公の「北海鎮護」への深い思ひが御祭神の神々から伝はってきます。
そして、この神社には、榎本公が宇宙から降ってきた隕石をもとに造らせた珍しい短刀が、榎本家より奉納されてゐました。その名も「流星刀」といひます。
「初めて見た時は、魂が吸ひ込まれるやうな宇宙を感じました。未知なるもの地球の技と融合してできた印象」と六代目・本間公祐宮司は語ります。本間宮司は医師。休診時間の合間をぬってお話を聞かせてくださいました。
榎本公が隕石の刀剣を見たのはロシア全権公使としてサンクトペテルブルクに滞在中、アレキサンダー一世所蔵の隕鉄から作った一振でした。隕鉄とは、鉄二ッケル合金を主成分とする隕石のこと。ナポレオンの進軍を破った功績として贈られたといふ歴史的意味の高いものです。
この刀剣に強く惹かれた榎本公は、貴重な隕石を日本で探し出し、東京在住の刀工に製作を依頼します。刀工は玉鋼ではない、未知なる隕鉄の鍛錬に手こずり、氷川神社に祈誓し三週間の精進潔斎までして、やうやく完成に至りました。
特別に「流星刀」を拝しました。まづ驚いたことに長さ十九センチの短刀は、白い肌をしてゐます。そし地鉄に現れるのは、見たこともない渦のやうな肌目。まるで宇宙のやうな不思議な広がりを感じる模様に釘付けになります。刀工が艱難辛苦の末に浮き上がってきた地鉄がこれだと得心しました。
本間宮司は、「目に見えないものを切る霊剣」と考へ、疫禍の最中と辰年の今年、社殿で一般に公開しました。今度の公開は、創建百五十年の節目となる二年後の令和八年。百五十年祭を祝して、創建に尽力した榎本武揚公を御祭神としてお祀りしたいと取り組んでゐます。
帰路、境内から鳥居越しに小樽の海が見晴らせました。この地は、アイヌの人々が海路安泰や海幸祈願をしてゐた祭場でもありました。夏至の日、鳥居の真ん中から朝日が昇るといひま北の大地に深く刻まれ祈りが伝はってきました。
祭神=底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神(綿津見神)、豊受姫神、大毘古命、大物主神、桓武天皇
鎮座地=北海道小樽市稲穂3-22-11
☎=0134-22-4268」