投稿日:2024年9月27日(金)
心の調子が悪い時がありましたが、限界まで筋トレをした後に、身体に悪くて美味しい食事を詰め込むと幾分か回復しました。それでも「病は気から」という言葉ををたまに疑う権禰宜の宇多です。
さて、本日は神社界唯一の業界紙であります、『神社新報』掲載のコラム【刀剣は語る~その伍拾~】をご紹介致します。
【刀剣は語る~その伍拾~くらやみ祭の御蛇丸】
「美しい刀身彫刻には何がこめられてゐるのでせう。
灯りを消した暗闇に神輿渡御がおとなはれる「くらやみ祭」。武蔵国の守り神を祀る大國魂神社の例大祭・国府祭です。そこにも神社の御神刀三振が出されます。
府中駅から馬場大門のけやき並木が神社まで連なります。今から約千年前、源頼義・義家父子が前九年の役の戦勝祈願のお礼としてけやきの苗千本を寄進したことに始まる並木。その後、徳川家康が関ヶ原、大坂の陣の戦勝のお礼として馬場を献上し、けやきの苗を補植して整へました。神社前にそびえたつ巨木は、家康公ゆかりと伝はります。
大國魂神社は、武蔵国に置かれ国府跡に。神社の宝物殿には、豪華絢爛な巨大神輿、そして二階に上がると、三振の太刀が置かれてゐました。
いづれも刃長が一メートルを超える大太刀。「伊吹丸」は茎の銘安政六年(一八五九)といふ奉納年や明林子といふ刀工名だけでなく、修行した師匠の名とともに「最高作」と茎に切られてゐるのに驚きました。刀への思ひ入れを雄弁に語ってゐます。
寛文二年(一六六二)奉納の「烏丸」は茎だけでなく刀身にも「奉進納 武刕六所大明神」と彫られてゐます。「六所」は武蔵国の著名な神六柱をともに祀ったととから「六所宮」と称された、明治四年の改名以前の名。刀剣彫刻は歴史もくっきりと残してゐます。
そして、もっとも長寸の「御蛇丸」。長々と刻まれた朱色の文字に惹きつけられました。刃長四尺七寸あまり(百四十四センチ)の裏面に、法華経の願文「諸佛救世者~」三十字がずらりと切られてゐます。刀工の下原照重は刀身彫刻の名人で、その技が存分に発揮されたものといへるでせう。
奉納者は大野八右衛門、慶長十八年に奉納とあります。そして、刀身の表面には「衆怨悉退散」の五文字。「多くの人を怨む気持ちはすべてなくなった」といふ意味です。大野は太刀を奉納した翌年に死亡。この人物、じつは江戸時代初めの横領事件と世間を騒がせた大久保長安事件の主人公・長安の手代で、事件に巻き込まれたといひます。徳川幕府の金庫番として金銀山を開発し、家臣として仕へた長安は死後、不正蓄財や幕府転覆疑惑がかけられ、一族郎党は死罪や処罰が下されました。しかし、その不正には今なほ不明な部分も多いとはれてゐます。
江戸初めの動乱を物語る一振がこの御蛇丸であったのです。「怨む気持ちはない」と刀身に刻んだ大野の本心とは。刀身彫刻に託した信念の深さに背筋がぞくっとしました。
大國魂神社
祭神=大國魂大神・小野大神・小河大神・氷川大神·秩父大神・金佐奈大神・杉山大神·御霊大神・国内諸神
鎮座地=東京都府中市宮町3-1
☎=042-362-2130
宝物殿
開館日=土・日・祝日及び神社祭礼日
開館時間=午前10時から午後4時」