投稿日:2024年9月5日(木)
平塚から富士山が見えました。夏の終わりのため冠雪もしてなければ、まだ空気が霞んでぼんやりとしていますが、これから涼しくなっていく予兆を感じてワクワクしている権禰宜の宇多です。
さて、去る9月2(月)、4(水)の2日間、寒川神社参集殿を会場とし、神奈川県神社庁祭式講師、笠䅣稲荷神社宮司の小野和伸先生のご指導のもと、祭式研修会が開催されました。私の考察や感想を含めて報告をします。
当社からは9月2日に宮司・牧野権禰宜・本山出仕が、9月4日には遠藤権禰宜・宇多・きたおか出仕と、職員全員が分かれて参加致しました。
午前中は基本作法の稽古を行いました。
内容は正坐、直立の姿勢の確認から歩行、拝礼まで徹底的に見直す稽古で、当然、座っての動作”座礼”と、起立しての動作”立礼”の両方がありますから、時間をかけて、先生の丁寧な指導に従って取り組みます。
毎年行われるこの祭式研修は、我々神職が”慣れ”によって第三者から見て乱れてしまった作法を矯正することができます。後日やってくる筋肉痛は、真面目に稽古できた証拠だと思います。
昼食は参集殿で調理された美味しいカツカレーをいただきました。
参加者は全員上下真っ白な格好ですので少しでもルーを落とそうものなら大惨事です。昼食といえども研修の一環であると言われているような気がしてなりませんでした。
午後は神葬祭(神道のお葬式)の講義です。小野先生は神葬祭に関しての思い入れが強いと自ら仰っており、参考資料に書かれてない範囲隅々まで細かく教えて下さって、設けられた時間内では足りないようでありました。
現在の神葬祭は、儒教の葬式を神社の形式にアレンジしたともいえ、また教派神道の葬儀も参考にされたそうです。例えば霊璽(仏教でいうなれば位牌)の形が儒教の”木主(もくしゅ)”と似ております。神葬祭が限定付きで解禁された時代が儒学が盛んだった江戸中期頃ですから、やはり神葬祭の成り立ちにも儒教は大きな影響を与えていたのですね。
▽神奈川県神社庁の発行した参考資料です。神葬祭の歴史は新しい方で、今日まで各都道府県の神社庁や皇典講究所(現:國學院大學)等によって様々な研究がなされ、多くの資料が発行されました。各神社の行事作法同様、やはり地域差があるようで、神葬祭では特にその差は大きいと言えます。
また、神葬祭は”御霊に対する祭儀”と”亡骸に対する祭儀”の2種の祭で構成されます。先生の話によると、葬儀会社によっては、帰家祭で遺骨を中心として祭壇を組むなど、御霊と亡骸、どちらに対する祭儀か曖昧な鋪設がされてしまうこともあるそうです。また、故人の顔を白布で覆うのは徐々に変化してしまう顔を見せないように尊厳を守るためであり、最後の別れの際でも白布を外すのは良くないのではないか、という考えをお聞きしました。以上のことから私は、神葬祭を構成する一つ一つの祭儀の意義や作法を、誤った鋪説や進行をする葬儀会社に指摘するようにできるようになるまで理解する必要があると思いました。
先生は講義の中で神葬祭は”自葬”の精神(神葬祭が解禁された当時のかたち、親の葬儀に自分で奉仕する始祖の精神)をもって奉仕することが重要であると仰っていたことに加え、「自分も遺族の一員として」「遺族と一緒に」奉仕するように、と教わりました。
人間の死とは急に訪れるもので、遺族にとってはそのような中で悲しみに暮れながら、あるいは混乱しながらも葬儀の段取りを組まなければなりません。もちろん滅多に行うものでないため、分からないことや不安に思われていることも多々あることでしょう。我々神職はこうした遺族の方々の心を慮り、寄り添い、また神職として遺族の方々に安心していただくよう、自らの作法に絶対的な自信を持って奉仕しなければならないと感じました。
【おわりに】相模湘南支部主催の祭式研修会は非常に歴史が長く多くの神職が研鑽に努めているという事で、先生にも参加者のレベルが高いと評価を頂きました。こうした恵まれた環境で学べる事に感謝しつつ、今後も日々の奉仕に励んで参りたいと思います。