投稿日:2024年10月26日(土)
自家用車のタイヤがパンクしました。権禰宜の宇多です。
さて、去る10月22日(火)に、神奈川県神社庁主催(企画・実施 祭祀委員会)の祭式研修会が行われました。
今回の講師は小野和伸先生、阿久津裕司先生、守山和宏先生。3名の先生方からご指導いただく豪華な研修会でした。
当社からは宇多が参加しました。
▽午前中は基本作法の復習です。つい先月、相模湘南支部主催の祭式研修会にも参加させていただきましたが、ほんの一か月の間でも自らの作法に少しの乱れが生じてしまっていることが分かりました。慣れとは恐ろしいものです。何度も意識しなければならないことを痛感しました。
〇午後は地鎮祭・上棟祭の講義と演習です。
まずは小野先生が地鎮祭の概要と、今日の地鎮祭の形はどのような変遷を辿っていったのか、の講義です。
結論として、現在一般的とされている地鎮祭は、大正時代、明治神宮を建立する前に斎行された地鎮祭が原型だそうです。また、地鎮祭の起源とされる書は、持統天皇紀(日本書紀巻三)で、「(中略)使者を遣はして、新益京(藤原京)を鎮(いは)ひ祭らしむ」と記されています。
▽テーマは江戸時代地鎮祭に移り、吉田家・白川家・橘家(神社界において存在したいわゆる”流派”)それぞれの地鎮祭を資料を通じて学びました。
この図は橘家の地鎮祭です。東・西・南・北・中央に祭壇を設け、それぞれ別の神様をお祀りしており、現在のものと比較すると非常に複雑です。
〇三家の地鎮祭は共通して他宗教の要素が混在していました。そのため神社神道の大きな転換点とされる明治時代には、神仏判然令などと共にこうした要素が排斥され、先述しました明治神宮の地鎮祭で”新しい地鎮祭”が手本として示されることになった経緯があります。
▽伊勢山皇大神宮 宮司の阿久津先生による講義では、神宮・伊勢山皇大神宮・現在の神社の建築儀礼を比較し、それぞれの特徴を学びました。一部、ブログをご覧の皆さんにも紹介します。
地鎮祭には、特徴的な儀礼として、設計会社が鎌を手にして草を刈る所作をする刈り初めの儀、施工会社が鍬を手にして土を起こす所作をし、施主が鋤を手に土を均す所作をする穿ち初めの儀があります。
例えばこれが神宮の鎮地祭ですと、各所役が物忌(童女=神職の娘)が奉仕します。
また、一般的な地鎮祭では降神・昇神といい、祭場に神様をお招きする/お帰りいただく次第がありますが、神宮の鎮地祭では既にその地に神様がいらっしゃる前提で祭が斎行されますから、降神・昇神を行わない、こういった違いもありますから、ほとんど別のお祭りだと言って差し支えないでしょう。
▽上棟祭の演習の様子です。
実際に曳綱の儀(綱を曳いて棟木を上げる)・槌打の儀(木槌で打って固定する)を、研修参加者全員で演習しました。
現代では上棟祭に奉仕する機会もなかなか無い上、私は概要すらよく理解できてなかったので、大変よい勉強になりました。
上棟祭は、参列者も含めて曳綱の儀を行うので”全員で奉仕する”意識が強く、また装飾も派手で大変めでたい祭典です。そのため、施主・参列者・工匠みんなにとって感動的な祭典になるそうです。
このように各種研修では学生時代の復習、作法の矯正だけでなく新たな知識を得ることができます。
社頭で活かすことができるよう、日々の奉仕に励みます。