投稿日:2022年11月25日(金)
今日は宮司に代わり日供祭を御奉仕致しました、権禰宜の牧野です。氏子、崇敬者の皆様の安泰と日々の感謝を捧げる決して難しくはないお祭りではありますが、氏子、崇敬者の皆様を代表して御神前に向かうと重責に気が引き締まる思いが致します。
さて、本日は神社界唯一の業界紙であります『神社新報』令和4年9月19日号掲載のコラム「神宮だより~工芸≪首里花倉織着物≫」をご紹介致します。
『神宮美術館では十一月十八日から「美術館収蔵品展」を開催してゐます。今回はその中から工芸の一点を御紹介致します。
「首里の織物」とは琉球王国の都・首里で士族女性の間に母から娘へと秘伝の技術として伝えられてきた織物の総称で、木綿・芭蕉・苧麻・絹などの素材で織られた花織・絽織・道頓織・諸取切・花織手巾などがあります。これらの織物の伝統を継承したのが作者です。
花織とは、かつての琉球各地でおこなはれた文織技法の一つで、意図が浮いて紋をつくる浮織のこと。透かしを作る絽織と糸の浮きを模様とする花織の交ぜ織りで、作者がとくに心して用ゐてゐた技法だと言ひます。それはかつて王子・按司(領主・諸侯に相当する階級)の身分にある者が朝衣(宮廷に出仕する際に着る衣服)や官服として身につけたものだからです。本作品は「風車と蛙」といふ吉祥の紋様を織り出してゐます。
作者は大正十一年沖縄に生まれ、昭和十四年県立女子工芸学校卒業。柳宗悦・芹沢銒介らの沖縄での調査を手伝ひ、その帰京と共に上京、柳悦孝染織研究所で研修。その後、琉球政府経済局や琉球工業研究指導所などで勤務。道頓織や花倉織を復元。五十一年那覇伝統織物事業協同組合初代理事長に就任。五十六年黄綬褒章受章。平成十年無形文化財「首里の織物」保持者認定。令和四年逝去。
琉球王朝文化が色濃く残る、戦前の首里に生まれた作者は、御殿の人々や機織里の様子を見聞きして育ち、戦後、戦争で壊滅した首里の織物を復興する中心人物として活躍されました。』