投稿日:2025年3月4日(火)
先日開催されました「藤沢宿まつり」に併せて、桔梗屋で雛人形の展示があり、見物に行きました。桔梗屋そのものが普段は非公開な上、古くは大正時代のお人形が展示されており、たいそう保存状態が良く、タイムスリップしたような不思議な気分になりました・・・権禰宜の宇多です。
さて、本日は神社界唯一の業界紙であります、『神社新報』令和6年11月25日号掲載のコラム【刀剣は語る~その伍拾参~】をご紹介致します。
【刀剣は語る~その伍拾参~幕末桑名の廣道・廣房】
「幕末の伊勢国桑名城下に廣道・廣房といふ兄弟の刀工がゐました。すでに村正の千子派は跡絶えてはゐるものの、東海道の宿場町である桑名の人も物資も行き交ふ賑はひの中に、刀工もゐたのです。
三重県総合博物館開館十周年記念・第三十八回企画展「刀剣 三重の刀とその刀工」は県博としては実に六十四年ぶりの刀剣展で郷土刀がずらりと並びました。村正、正重、宗次・・・・・・。そのなかで「護身刀」と彫りのある脇差に目がとまりました。慶応二年四月、そして「多度斎火鍛」と銘に切られてゐます。
多度とは、桑名城下から十数キロ離れた多度山の麓に鎮座する多度大社のこと。天照大神の御子神の天津彦根命を祀ることから、お伊勢参りの旅人も立ち寄った神社です。境内にある別宮・一目連神社の御祭神・天目一箇神は、古くから製鉄や鍛冶の神としても知られてをり、刀鍛冶から崇敬されてきました。
おそらく、刀工は一目連神社でいただいた斎火で刀を鍛へたと考へられます。刀工は、廣道。翌年にも同じく多度斎火鍛への刀を奉納してゐます。
そして、兄の刀工も同じ年紀で同様の彫りの作品があることを知りました。兄は廣房といひます。
幕末頃、桑名で打たれた室町期の備前刀の偽物を「桑名打ち」または「桑名の殿様」と呼んだといひます。廣房は「桑名打ち」の一人としていはれることもある刀工です。
会場には、すっとした直刃の刃文が美しい廣房の短刀も並んでゐました。註文打ちで、安政三年の銘が切られてゐます。多度の忌火でもって刀を鍛へた刀工が、偽物を打ってゐたとはにはかに信じられない心地がしました。
研究者の中には、偽物は特定の時代や産地でおこなはれてゐたわけではなく、当時の桑名といふ立地も考へ、色眼鏡なしで再考することが必要と指摘する声も。幕末の桑名藩は、幕府側に立ち朝敵とされたことも影響したのかもしれません。また、東海道の唯一の海路「七里の渡し」がある桑名の宿場では、お伊勢参り道中の必需品である懐刀への需要や、日本刀の需要が高まった幕末の動乱期に、刀の売買が交通の要衝である地だからこそ盛んにおこなはれてゐたことも考へられます。
腕があるゆゑに、謂はれない非難を受けたのかもしれない・・・・・・「護身刀」と彫られた脇差の清々しい姿に見入りながら、幕末桑名の複雑な立ち位置に思ひを寄せました。郷土刀が並ぶ刀剣展では、郷土の歴史も浮かび上がらせてゐました。
多度大社
祭神=天津彦根命、〈相殿〉面足命・惶根命
鎮座地=三重県桑名市多度町多度1681
☎=0120-37-5381
※「多度斎火殿」は個人の所蔵。」