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神社新報コラム 【刀剣は語る~その伍拾陸~姫路の綾小路定利】

投稿日:2025年5月12日(月)


昨日は第14回目一心泣き相撲藤沢場所が開催され、境内に元気な赤ちゃん力士たちの声が響く大変賑々しい一日となりました。来年もたくさんのご参加お待ちしております……権禰宜の牧野です。

さて、本日は神社界唯一の業界紙であります、『神社新報』令和7年3月31日号掲載のコラム【刀剣は語る~その伍拾陸~】をご紹介致します。

 

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姫路城の綾小路定利

「姫路駅から正面に臨む世界遺産・姫路城。五層六階の大天守と三つの小天守の美しさは、日本屈指の名城と呼ばれるにふさはしい姿です。豊臣秀吉が毛利などの中国征伐の拠点として三層の天守を築き、その後、池田輝政が現在の規模に拡大しました。

播磨国の「総社さん」と親しく呼ばれる射楯兵主神社は、射楯大神(五十猛命)、兵主大神(大国主命)二柱を祀りますが、秀吉の姫路城築城の際に、鎮護の社として現在の地に移転遷座しました。歴代の姫路城主からの崇敬とともに、庶民からも二十年に一度の「三ツ山大祭」の伝承から、八難苦厄祓ひの信仰が寄せられます。

この古社が所有する綾小路定利の太刀と拵を東京国立博物館で拝見しました。綾小路定利は鎌倉時代、京都の綾小路を拠点に活躍した刀工。銘入りの太刀は代表作の一つで、がっしりとした刀身で反りが高く、精緻な地鉄が美しい一振です。拵は、鞘の表面に透き漆を塗る技法の溜塗で、その渋い色合ひの粋なこと。安土桃山時代の打刀拵として貴重なものといひます。

この太刀は、慶長五年(一六〇〇)、姫路城主・木下家定の家老・青野甚左衛門が奉納したと伝はります。家定は姉のおねが秀吉に嫁したため、秀吉の義兄となり、木下を名乗るやうに。文禄四年(一五九五)、姫路城主となりました。

何より気になるのは、太刀奉納の慶長五年といふ年。秀吉の死後、実権を握りつつあった五大老の一人、徳川家康が石田三成と関ヶ原の戦ひを決した年です。姫路城主の家定はその際、大阪城の留守居役を務め、おねの敬語にあたりました。

なぜ、家定の家老は太刀を神社に奉納したのでせうか。残念ながら、昭和二十年七月の姫路大空襲により、姫路城以外は焼失。神社も焼け、詳細は不明なのです。この太刀はどこかに預けてあったのか、唯一残りました。

また、刀剣にちなむ年中行事「修羅踊り」が明治時代まで神社でおこなはれてゐました。なんでも太刀や槍を持った人々が入り乱れて踊る荒々しさから「修羅」の名があるさうです。その行事の名残の石碑を教へてもらひました。刻まれてゐる文字は「血の池」。修羅踊りで傷ついた人々が境内の池で洗ふと止血したことが名の由来といひます。当時の凄まじい行事と神社への信仰が窺へました。

大空襲を逃れた定利の一振から、この地の歴史を垣間見たやうに思ひました。姫路城の美しさはさまざまな世を乗り越えたものであったのです。

 

射楯兵主神社

祭神=射楯大神(五十猛命)、兵主大神(大国主命)

鎮座地=姫路市総社本町190

☎=079-224-1111」


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
ぜひ早起きした朝やお休みの日にでも、お気軽に当社にお越しください。皆様のご参拝を心よりお待ちしております。