投稿日:2025年4月21日(月)
青空に藤が輝いております。権禰宜の本山です。
▽さて、今日はこちらの句碑について。
これは松尾芭蕉の「草臥て宿かる比や藤の花」(くたぶれて やどかるころや ふじのはな)という俳句の句碑です。旅してきて、あぁくたびれた、そろそろ宿を探さないと、藤の花のきれいなこのあたりで・・・といった意味です。この句は松尾芭蕉が貞享4年(1687年)江戸を出発して伊賀、吉野、奈良、須磨から京都までの旅の記録「笈の小文」の中にあり、残念ながら藤沢で詠まれた句ではありません。
ではいつ誰がここに?
▽この句碑のロマンはこの裏側にあるのです。
この句碑は芭蕉の死後100年余り後の文化2年(1805年)、以足(いそく)という人が建立したと裏に掘ってあります。文化というのは文化・文政時代、いわゆる「化政文化」が栄えた時代です。
化政文化は庶民が文化の主体となり広がった。裕福な人だけでなく庶民も文学・美術を楽しむようになっていった。教科書に読んだ記憶が急にリアルに感じられてきます。今年のNHK大河ドラマ、蔦屋重三郎が生きた時代(1750-1797)からも続いています。
以足については何も情報がなく、白旗神社との関係もわからないのですが、この地に芭蕉のこの句碑を建てた人がいた事実、それだけでも十分に文化・文政時代の藤沢宿の活気を伝える史跡として価値があるように思います。またこのことが江戸時代から藤が美しかった証拠にもなると思うのです。
が、実はこの藤棚の藤は、昭和の終わりころに当時の総代の小室一郎氏が浦和の天然記念物の藤を接ぎ木して育てました。小室さんは接ぎ木の名人だったそうです。ここにもこの地に尽力した人物がいます。たくさんの人が繋いできた歴史に連なる今この瞬間に自分たちは存在するのだと感じるとぶるぶるっとします。
ぜひ藤の花と共に句碑もご覧になってください。裏側に「文化二年乙丑三月」としっかり刻まれています。