投稿日:2024年3月7日(木)
【暦で見る九星の運勢シリーズ】二黒土星:令和6年4月(各自の九星についてはブログ末尾の表をご参照ください)「吉方…南・南西・北・北東 陽春の暖かく明るい気を受けて運気上昇するので、大いに励んでください。事業・商い等も良いところまで行きますが、欲の深追いは禁物です。暴飲暴食・遊び過ぎに注意を」とのことです…権禰宜の遠藤です。
さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』令和6年3月4日号掲載のコラム「神宮だより」をご紹介致します。
【神宮だより~御塩焼固~】
「三月四日から八日までの五日間、伊勢市二見町の御塩殿(みしほどの)神社にて御塩焼固(みしほやきがため)がおこなはれます。堅塩(かたしほ)は一日に二十個奉製されますので五日間で百個となり内宮・外宮をはじめ神宮のさまざまな祭典でのお供へやお祓ひ用として用られます。
二見浦の御塩が供されるやうになったのは、二千年以上前の昔まで遡ります。
倭姫命(やまとひめのみこと)が大宮地(おほみやぢ)を求め諸国を巡り、二見の浜に差し掛かった際、土地の神である佐見都日女(さみつひめ)がこの地で作られた堅塩を奉りました。倭姫命は喜ばれ、この地に堅田の社と御塩浜を定められました。
以来、神宮の祭典に二見浦の御塩は欠かせないものとなりました。毎年十月五日には、神嘗祭に付属する「御塩殿祭」が執りおこなはれ、その後五日間で百個の堅塩が奉製されますので三月のものと併せると年間二百個の堅塩が奉製されます。
焼固は、参籠潔斎した神職が御塩殿にて忌火をきりだし竈に火を焚きます。三角錐の土器に荒塩を詰め竈の中に並べ据置くと中の荒塩は固まり堅塩となるのです。このやうにして奉製された堅塩は辛櫃に納め、護送の神職により外宮斎館まで運び込まれます。護送する道は不浄に触れないやう御塩道と呼ばれる定められた道を通ります。
清浄に奉られた堅塩は、神嘗祭をはじめ神宮のさまざまな祭典にてお供へされます。米や水と同様に塩は私たちの生命の源であり欠くことのできないものです。その恩恵に改めて感謝したいと思ひます。」