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【神社新報コラム】神宮だより~御蔭参宮 文政神異記~

投稿日:2023年2月17日(金)


暖かい日が増え、一日ごとに境内の梅も満開に近づいています。毎朝観察するのが楽しみです、権禰宜の牧野です。

さて、今年は3月8日より10日にかけて藤沢市氏子総代会の研修旅行が予定されており今回は伊勢参詣の予定となっています。神社界唯一の業界紙であります、『神社新報』令和5年1月23日号掲載のコラム「神宮だより~御蔭参宮 文政神異記~」にて江戸時代の伊勢参りの資料の記事がありましたのでご紹介致します。

こちらの資料、文政神異記を翻刻したものがありましたので少し読んでみました。当時は「抜け参り」といって家族や職場に黙って家出して伊勢参りをするのが流行ったようで、子供だけ、女性だけで抜け参りに行くことも多々あったようです。街道沿いの人々も協力的で宿やお金を貸したり、食事を振舞ったりする人も多く途中でお金を盗まれたりしても何とかなったり、当時の人の人情の深さに驚きます。

 

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【神宮だより~御蔭参宮 文政神異記~】

「文政の御蔭参りについての記録集。上下二巻。著者は外宮に ほど近い岩渕に住んでゐた箕輪在六で、詩や書に通じ絵画を小俣蠖庵に学んだといふ数寄者です。御蔭参りは江戸時代におよそ六十年周期で訪れた爆発的な伊勢神宮への群衆参詣のことで、文政の御蔭参りは同十二年に式年遷宮がおこなはれたことを契機の一つとしてゐます。上巻には、本書の内容にも触 れながら漢文体で巻頭言を載せてをり、その文末に「文政十三年庚寅仲冬/榊亭春木煥光」と記されてゐます。春木煥光は度会姓で外宮の権禰宜を務めた人物。 小野蘭山に本草学を学んで自宅に薬草を育てるなどした当時の伊勢を代表する知識人の一人です。煥光はこの序文の中で、御蔭参りについて記述した書籍は少なく、本書は御蔭参りにまつはる事柄を事実に基づいて記録した貴重な文献として後世に残るだらう、と述べてゐます。
下巻の奥書には「天保壬辰初秋刊行/神都藤原屋甚右衛門/京都 菊屋喜兵衛」とあり、天保三年に伊勢と京都の二カ所を中心に刊行されたことがわかります。天保が文政十三年の暮れに改元された年号であることを踏まへると、本書は在六が御蔭参りを実体験した約二年後に発刊されたこととなります。なほ本書の発
行にあたっては、義嗣の在九が時間の経過とともに煙没することを恐れて上梓した、と先の序文の中には記載されてゐます。記録によると在六は天保二年の一月にはこの世を去ってゐることから、著者の死後、その息子によって刊行されたことが分かります。上巻の内題横には「伊勢おかげまゐりに神変不思議の御利生を蒙りし事浮説を除き事実をあつむ」と記され、在六が事実であると確信した内容のみを記載したものであるとし、本書に対する拘りと熱意が感じられます。内容は文政の御蔭参りの端緒となった徳島の子供たちによる集団の抜参りをはじめ、十歳の子供の白馬による参宮や各地の御札降りなどの神異現象、ま参宮道中の施行の様子や宮川の渡しの渡河人数といった見聞記録などを挿絵を交へて収録してをり、当時の賑はひを今に伝へる有用な史料の一つとなってゐます。

(文化部・長谷川明輝)」

 


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
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