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【神社新報コラム】神宮だより~江戸時代の十月の行事と神事~

投稿日:2024年10月22日(火)


【暦で見る九星の運勢シリーズ】六白金星:11月(各自の九星についてはブログ中の表をご参照ください)「吉方…北 運気充実し物心共に安定を得られますが、無駄遣いは禁物です。浮かれて気をよくして、派手に振舞うと、流れが変わる恐れあり。少しでも余力があったら、蓄えを忘れずに」とのことです…権禰宜の遠藤です

さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』令和6年10月14日号掲載のコラム「神宮だより」をご紹介致します。

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【神宮だより~江戸時代の十月の行事と神事~】

「神宮においては恒例祭最大と称される神嘗祭を間近に控へ、今月15日から25日にかけて125のお宮お社すべてのお祭りが斎行される。

この時期は、鈴虫の鳴く声が実に心地よく、秋の夜長の退屈しのぎには丁度良い。

江戸時代の神嘗祭は9月に執りおこなはれてゐるから、太陰暦の頃の10月といへば、今の初冬に相当するだらうが、中近世の10月には、神都と神宮それぞれどのやうな行事や神事がおこなはれてゐたのであらうか。

神宮徴古館が所蔵する大正期の『神都年中行事図』の「旦廻人発途の見送り」には、旅支度を整へた師職の代官(手代)三人とそれを見送る者たちが宮川堤の辺りで別れの挨拶をする様子が描かれてをり、その詞書に「十月に入れハ各師職の代官旦廻りとて配札のため日柄を撰びて諸国に旅立す、一族のものおよび主家の家来等宮川まで之を見送る」とある。

同行事図の種本となった、明治30年(1897)横地長重が宇治の年中行事や風俗について書き記した『五十鈴乃落葉』には記述は見られないものの、御師の毎年恒例の行事であったことからか、特異ながら神都の年中行事図に組み込まれたのだと思料される。

外宮祭典行事式の規範と讚へられる享保15年(1730)成功の『豊受皇太神宮年中行事今式』や外宮権禰宜・黒瀬益弘の編集による『外宮子良館祭奠式』(貞享4年<1687>成功)によれば、2月同様10月上の午の日に高宮(多賀宮)で初午神事が執りおこなはれたことがわかる。

10月は、神事の後で禰宜たちが庁舎に集まって「奉下帳」に書名をし、御政印を押捺する儀式をおこなった。前年10月の初午神事以降、当年9月21日まで奉下した稲の出納の締めくくりであると同時に、当年度の新穀の奉下、すなはち出納の開始の儀式であったと考へられる。その祭場が多賀宮の社殿に隣り合はせて設けられたことは、いかに重要な神事であったか。明治の改正以後なくなったが、度会氏による特殊神事が多賀宮で執りおこなはれてゐたのは実に興味深いことである。(広報室・音羽悟)」

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