投稿日:2023年2月28日(火)
今日で今月も終わり、幾つになっても2月の短さに慣れません、権禰宜の牧野です。季節の変わり目という事で体調を崩さないよう気を付けたいところです。
さて、神社界唯一の業界紙であります、『神社新報』令和5年1月30日号掲載のコラム【刀剣は語る その参拾壱~藤森の鶴丸国永~】ご紹介致します。
【刀剣は語る その参拾壱~藤森の鶴丸国永~】
「世にでない刀剣の一つに、皇室の所蔵品があります。ほとんど公開されることがなく、見ることがままならない御物ですが、「幻の刀」と人々を惹きつけてやまない平安時代の刀剣で名物「鶴丸」として名高い一振り、「銘 国永」です。国永は三条宗近の弟子である在国の子と伝はり、京都の五条に住んだことから五条国永とも呼ばれました。現存する刀剣は四振と極めて稀少で、中でも「鶴丸」は高い評価を受けてゐます。鶴丸国永は明治三十四年、仙台の伊達家から明治天皇に献上され、御物となりました。もともとは北条家に伝来し、織田信長、その家臣の三枝勘兵衛へ渡ります。そして、勘兵衛が手放した後、一時期納められたと伝はるのが、藤森神社です。
京都洛南、深草の地に平安京遷都以前から鎮まるといふ藤森神社。五月五日の藤森祭は、今から千二百年前の貞観年間にまでさかのぼると伝はります。 鎧甲冑に身を固めた武者行列や馬上での妙技を駆使する駈馬神事がおこなはれる勇壮なお祭り。鶴丸国永は、の祭礼で神前に奉られてゐたといひます。石の鳥居をくぐり、参道を進むと、「人・馬はこちら」といふ矢印に思はず頬が緩みました。ここは競馬の勝負運にも御利益ありとされ、お参りも多いと聞きます。この神社が鶴丸国永ゆかりの地として、刀剣女子の憧れの的となったのは、数年来の刀剣ブームから。
「全国からお参りに来られるので、せめて写しだけでも見てもらへたら」といふ藤森長正宮司の願ひが、古刀を研究する刀工との出会ひで叶ひます。平成三十年、福島県の刀工藤安将平氏が鶴丸国永の写しを奉納されました。その公開初日、境内には見たことのない長い行列ができたさうです。
鶴丸国永の写しを宝物殿で拝見しました。なんといふ美しさなのか、輝くばかりの刀身の姿に目を
瞑りました。「初公開の時には泣いてしまふ女性も」と担当者。写しは刀剣研究家の佐藤寒山氏の押し型を元にして製作され、刃長七十八・六センチ、反りが二・七センチ、細身で反りが高く、上品な姿です。
この写し刀への感動は何なのでせうか。武器として生まれた刀剣ですが、眼前にした写しは、武器といふより大切な宝物といふ印象を受けました。それは、平和な時代に製作されたものだからか、平安時代作の本物もさうであるのか、「幻の刀」への思ひが膨らみました。ちなみに鶴丸の名の由来は不明ですが、拵へに鶴丸文が使はれたのではないかと推測されてゐます。しかし、鶴の凜とした姿を連想させるやうな美しさは、古来、瑞鳥と神聖視されてきた鶴と重なります。名物「鶴丸」は、平安の刀の美を物語ってゐました。
千種 清美」
藤森神社
祭神 素盞嗚命、別雷命、日本武尊、 應神天皇、 仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰、舎人親王、天武天皇、 早良親王、伊豫親王、井上内親王
鎮座地 京都市伏見区深草鳥居崎町 609
☎ 075-641-1045