投稿日:2023年1月12日(木)
新年おめでとうございます。今年初のブログ投稿になります、権禰宜の牧野です。白旗神社で迎えた初めてのお正月、総代さんを始め牛若会、神輿保存会の皆様、宮頭、多くの氏子崇敬者の方に支えられて右往左往しながらもなんとか乗り越えることができました。改めて感謝申し上げます。
さて、本年は当社でも年明けと同時に汲んだ若水を歳旦祭にて御神前にお供えを致しました。年が明けて最初に汲む水を「若水」といい料理や身を清めるのに使う風習は全国に色々な形で伝わっています。神社界唯一の業界紙であります『神社新報』にて神宮における若水についての記事がありましたので令和5年1月元日号掲載のコラム「神宮だより~正月元日の若水~」をご紹介致します。
【神宮だより~正月元日の若水~】
「大晦日の夜、両宮の正宮前は日付が変はるのを待つ大勢の参拝者で例年賑はひを見せるが、元日午前零時の時刻と共に両宮の内玉垣と外甘がきの南御門が開扉される。この時刻に外宮では神御井神社、内宮は御井で宮掌と出仕の二人により、それぞれ若水が汲み上げられる。この若水は両宮において歳旦祭で諸神に供へられる。
さて、神饌として元日に奉献される御水を若水と称す古例は、江戸時代前期に黒瀬益弘が纏めた『外宮子良館祭奠式』に見られる。その巻上の正月例によると、「上御井社の御鑰を持ちて当館に来る、副物忌堝一口杓一柄を持て、役人とともに上御井社に参り、役人御戸を開き、副物忌井水を汲み、堝に盛こと三杓、神歌を口裏に唱ふこと三遍、役人戸を闊て下向す」(原漢文・割書は削除)とあり、さらに「 しほ井をけふ若水に汲初て御あへ手向る春は気にけり」との神歌(『類聚神祇本源』の作者渡会家行の作)を伝える。「をしほ井(忍穂井)」とは上御井神社の別称で江戸時代にはこの表記がよく用ゐられた。
しかし元日の若水に関しては、江戸時代、神都と称された宇治と山田のまちにおいても風習があり、明治三十年(一八九七)に横地長重が著した『五十鈴乃落葉』に「正月元日の朝鶏鳴を聞て初水を汲、是にて手水を遣び口を清めるを若水といふ」とある。大正の頃に作成されたとされる『神都年中行事図』「正月元日」(写真)に若水をつかった後、神拝し、家族打揃って雑煮の祝膳につく様子が図示されてをり、その後に参宮したことを記してゐる。江戸時代の外宮祭典行事式の規範とされた『豊受太神宮年中行事今式』の正月例「元日条」に「鶏鳴以後若水を浴して潔斎す」(原漢文)とあ神宮り、この外宮の規式を神都の町衆も倣ったのではないかと考へられる」
(広報室・音羽悟)