投稿日:2021年5月10日(月)
【暦で見る九星の運勢シリーズ】二黒土星:令和3年6月(各自の九星についてはブログ末尾の表をご参照ください)「吉方…東 程良い運気ですが、調子乗って動き過ぎると流れが変わるから十分気を付けて。何事も前もってきちんと計画を立ててから進むことが良策。勢いにまかせて進むとケガをする」とのことです…権禰宜の遠藤です。
さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』掲載の特集記事「刀剣は語る~北野の鬼切丸~」を御紹介致します。
【刀剣は語る~北野の鬼切丸~】
天神さんで筆ではなく、刀を拝見する……意外かもしれませんが、京都の北野天満宮にはおよそ百振の刀剣が納められてゐます。御祭神はもちろん「天神さん」と呼ばれる菅原道真公です。
「菅公は、文武両面に優れた方で、弓矢を引けば百発百中だったと絵巻に描かれてゐるほど」とは、権禰宜の東川楠彦さん。なるほど、国宝の北野天神縁起絵巻には片肌脱ぎの道真公が弓矢を引く姿があります。学問だけでなく、武芸上達の信仰も得てゐたのです。
宝物殿で開催された刀剣展で衆目を集めてゐたのが、「鬼切丸」の号のあるひと振り。刀身の長さ85センチあまり、刀身の元から反りがつく姿は、どっしりとした力強さを感じます。
この太刀は、もともは「髭切」の号がありました。罪人の死体で切れ味を試すと、髭まで斬れたのが、その由来。よほど切れる太刀だったのでせう。いづれにせよ、幾多の伝承逸話から、やがては「伝説の太刀」としてその名を轟かすこととなるのです。
「髭切」から「鬼切」と号を変へた逸話があります。平安中期の武将・源頼光の家臣・渡辺綱は、使ひを命ぜられた先の一条戻橋あたりで美女に化けた鬼に遭遇。綱は捕らへられ、住処である愛宕山へ連れられさうになりますが、北野天満宮の上空で、腰に差してゐた「髭切」で鬼の腕を切り落とし、命拾ひをします。
九死に一生を得た綱は、「これは天神さんの御神徳をいただけたから、と、北野天満宮に石灯籠を奉納。その石灯籠は今も、参拝者で賑はふ御本殿前に立ちます。鬼切伝説がにはかに実感を帯びてきます。
「鬼切」として名高い太刀はその後、源氏の重宝と して代々受け継がれますが、山形の最上家の所蔵になります。江戸時代、藩主の参勤交代の際に「鬼切」を持参すると、道中はたいへんな評判であったとか。郷土史家によると、「鬼切」の下をくぐれば、当時人々を恐れさせてゐた「おとり」(瘡・マラリア)にかからないとして、人々はお金を 支払っても、「鬼切」を納めた箱の下をくぐったといふ逸話が残るといひます。得体のしれない鬼まで切った「鬼切」ですから、恐ろしい「おとり」をも一刀両断してくれるであらうと、厄除けの民間信仰を受けるやうになったのです。
「鬼切」は明治13年、多くの人々の尽力により、北野天満宮へ奉納される運びとなりました。この北野の地に、鬼切丸をはじめ多くの刀剣が納められてゐるのは、古くより北野天満宮が「祓ひと清め」の重要な役割を担ってきた社であるからに他なりません。刀を北野に納めることにより、その刀は祓ひ清められ、携はった者たちの御霊は安らかに鎮められるのです。
これは北野の地が平安京の乾方、北西に位置する天門にあり、古来、天神地祇の神々を祀り、祭事がおこなはれてきた聖地であることが大きく関はってゐます。この地に道真公の御神霊をお祀りし、皇城鎮護の神として創建されたのが北野天満宮なのです。道真公は、祟りなす存在から、学問をはじめ文化芸能の神へと変容していきました。奉納刀剣からはまた厄除け、怨霊を鎮める力を持つ天神さんの一面が垣間見えるやうです。
「鬼切丸」は今、静かに北野の地に納まってゐます。
北野天満宮
祭神…菅原道真公
鎮座地…京都府京都市上京区馬喰町
☎075-461-0005
宝物殿…拝観時間=午前9時~午後4時」