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【神社新報 コラム】神宮だより 伊勢うどんはいつから

投稿日:2017年9月22日(金)


今回のブログの内容が伊勢うどんはいつからということですが、自分が生まれ育った九州にはコシがないうどんがあります。権禰宜の新久田です。

さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』平成29年7月3日号コラム「神宮だより」をご紹介致します。

神宮だより 伊勢うどん

「【神宮だより ~伊勢うどんはいつから~】

参宮の行き帰りに伊勢うどんを食する方は多い。「おはらい町」通りのどの土産物屋でも販売され、お伊勢参りの名物の一つになってゐる。第六十二回神宮式年遷宮や伊勢志摩サミットに際して新聞・雑誌・テレビ等マスコミの神宮への取材も過熱し、加へて伊勢志摩の特産品も頻繁に紹介されるやうになった。伊勢うどんもNHKの報道をはじめ、コラムニストの石原壮一郎氏が大使としてメディアを通じて紹介し、また書籍で広報される(『瑞垣』第二百三十一号にも掲載)などして人気が高まり、東京のアンテナショップ三重テラスの販売商品の代表格にもなったほどである。

ではこの名物うどんは、いつから参宮者に振舞はれるやうになったのであらう。文献上は、加藤(秦)忠告が著した『宮川夜話草』に土産として記述がある。煎海鼠(いりこ)・鹿尾菜(ひじき)・稚海藻(わかめ)などと共に「饂飩」として「麺類皆他国に劣らしといへとうとんの製は他に異なり」と記載されてゐる(写真)ものが、伊勢うどんと考へられる。本書は宝暦十一年(1761)に草稿され、安永二年(1773)に完成したものであるから、それ以前に常習化してゐたとすれば、江戸中期には参宮者に出されてゐたと推測されるが、詳細は不明である。

昭和四十七年(1972)に「伊勢うどん」の名称が定着するまでは、とくにネーミングがあった訳ではなく、明治の頃の土産物一覧の中には「名物饂飩」の名で紹介されてゐる。

伊勢うどんの歴史はわからないと諦めかけてゐた矢先、石川県鳳珠郡能登町宇出津(うしつ)鎮座の酒垂神社(さかたるじんじゃ)宮司加藤三千雄氏と知己を得たことで思ひ掛けない発見があった。加藤氏の御著書『千尋の浜草と藤のかき葉』を拝読し、「饂飩」の記述を見つけたからである。本居宣長の門人で、酒垂神社十二代宮司加藤吉彦(えひこ)の寛政九年(1797)の日記『千尋の浜草』に吉彦が外宮近くの山口元右衛門久貞の家で「名だたる饂飩」を勧められた記録が見られる。当時、伊勢うどんは参宮者だけでなく、神領民が家庭で食してゐたことを認める貴重史料に出会へた。改めて加藤氏には感謝申し上げる次第である。」


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