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【神社新報記事】特集 シリーズ大嘗祭

投稿日:2019年3月20日(水)


今日は20度まで上がり、福岡では桜の開花宣言がされましたね。春本番まであともう少し。権禰宜の佐藤です。

本日は神社界唯一の業界紙である神社新報の特集「シリーズ大嘗祭」祭祀論の真義をご紹介致します。

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【祭祀論の真義】

天皇即位後、一代一度執りおこなはれる大嘗祭は、天照大神への神膳の供進が最も重要である重要であり、稲だけでなく、国民が日常的に食している非常食にもなる栗が奉られる。その供進作法は伊勢の神宮に向かっておこなはれるもので、大嘗祭内陣の神座が用ゐられない遙拝祭祀である。今回は、かうした大嘗祭、あるいは宮中祭祀の作法から、神祇祭祀の根幹について考へたい。

[二殿合一の儀式]

大嘗祭は、同じ造りの悠紀殿主基殿の二殿で同じ儀式をおこなふ。まづ天皇は、後方の廻立殿で新しい祭服に着替へて悠紀殿での儀式に臨み、終はって廻立殿に戻られると物忌みされ、再び祭服を改めて主基殿の儀式に臨まれる。

室町時代の貴族、一条兼良は『代始和抄』のなかで、恐らく『日本書紀』に基づいて「主基」は「次」のことであり、「たとへば左右前後などいふ程の事也。大嘗祭神膳の儀、両度あるに依て、後の度のをばすきといふなり」と述べ、これこそ「神事潔斎の心」と説明している。二つの儀式が「前後」などと同じ関係であるなら、大嘗祭は二殿で執りおこなふことが前提であると考へられよう。

二殿同時に天照大神がいらっしゃるといふ意識もあるやうだが、降神の作法はなく、伊勢の方向に向かって天皇が二時間以上に亙り丁重にお食事をお供へする。いはば遙拝祭祀の究極の形ではないかと思ふ。

[遙拝と庭上祭祀]

伊勢の外宮は、天照大神のお食事「御饌」を司る神を祀る。御饌は、神宮で重要視される祭典では外宮・内宮両方へ奉られるが、「常典御饌」と言って、外宮の御饌殿といふ小さな建物で奉られる。天照大神をはじめ両宮の神々がいらっしゃる形をとってをり、遙拝祭祀と考へられる。食薦を敷いて、枚手でお食事を差し上げていく形は、新嘗祭や大嘗祭に似てをり、かつては禰宜や大内人(おおうちんど)を務めた度会氏、つまり伊勢に住む在地の人々に委託したものだった。そして、伊勢のお祭りと同時並行的に、天皇は御代替りや新嘗祭、神嘗祭などの際、丁重な遙拝祭祀をおこなったのである。

歴史を繙くと、天皇祭祀の基本は遙拝祭祀である。平成時代に始まった清涼殿石灰壇での毎日の御拝や、元旦の四方拝、さらに平成二十五年の第六十二回神宮式年遷宮での内宮の「遷御の儀」では、今上陛下には宮中神嘉殿前の庭上で神宮を遙拝された。庭上に畳を敷き、屏風で囲ふ形は四方拝と同様である。かうしてみると、座の舗設はあるものの、いづれも庭上でおこなはれてゐることがわかる。大嘗祭の悠紀殿・主基殿もまた、かつては高床式ではなく土の上に簀子や竹を敷いたものだった。天皇崩御に際してお籠りする倚盧殿も土座形式である。現在の神社祭祀は拝殿など、床の上でおこなふことが多いが、例えば春日大社第一殿の前には祝詞を奏上する際の石の座があるし、明治以前の神宮では正殿床下の心御柱の前に神饌を奉って床下祭祀をおこなってゐた。

昭和初期までは神殿の前で座を設けて祝詞を奏上してゐた神社も聞かれたことから、祭祀では「土地」や「土」といふものが、古来、非常に重要な意味をもってゐるのではないだろうか。

[神降しの源流]

慶応四年三月十四日、京都御所の紫宸殿では、五箇条の御誓文で有名な御誓祭が斎行され、神籠に降神した天神地祇を天皇が親らお祀りするといふ新しい作法がみられた。その降神・昇神の作法として「降神の神歌を奏す」とあり、神祇事務局督で白川家当主の資訓が担った。かうした作法はいつまで遡るのか。御誓祭の儀式作法は、平田派の国学者・六人部是愛が定めたやうで、是愛の父・是香が考証した祭式に降神・昇神がみられ、同年五月の楠公祭においても「神於呂志」「神阿計」といった作法がある。

さらに遡れば、橘家神道の玉木正栄が垂加神道の影響を受け、神降しや警蹕などをおこなってをり、吉田神道の儀式作法の中にも「鎮座加持」「招請如常」「勧請(神名)」といった作法が確認できる。つまり、いはゆる雑祭式の中に神降しの作法があったといへる。

吉田神道の作法は、声明(しょうみょう)・乱明(らんじょう)のやうなものを唱へるなど、非常に動的である。かつて実際の行法を取材させていただいた時の声の高さや大きさなどを踏まへると、真言密教や陰陽道の影響も見受けられ、仏教儀礼に源流があるのではないかと思ふ。例へば、鎌倉中期の僧侶・無住が書いた『沙石集』巻第一には「日本国中ノ大小諸神ノ御名ヲ書奉テ、此一間ナル所二請ジ置奉テ」読経などをおこなふ作法がみえる。修正会(しゅうじょうえ)や修二会(しゅにえ)、あるいは神社の神宮寺などでは神々を勧請して春の訪れを寿いでゐた。「勧請」の語自体、」仏教用語であるが、かうした内容が近代の祭式に流入したのではないだらうか。

これらに対して、宮中祭祀の核の部分では、古代からのさうした儀礼は全くない。大きな音を立てず、祝詞も微声で奏上する非常に静かなものである。

[祭式は信仰の表れ]

以上のやうな内容に関連して、神社本庁編『神社祭式行事作法典故考究』を挙げておきたい。本書は戦前、佐伯有義が皇典考究所在職中に集めていた資料を、戦後に神社本庁嘱託だった八束清貫が纏めたものである。ここで八束先生は、降神・昇神に関して「単に神祇を請招して御饗を奉る祭祀に神下しの儀は察せられる」と述べ、「一般の祭祀に於て、琴を弾き、神於呂之の歌を謡ふことは、御占神事の如き特殊の意義ある祭祀には可なるも、普通の祭祀に琴を弾き、歌を唱へて降神又は昇神するは誤れるものと云ふべき。考慮を要すべきである」と書いてをられる。

祭式は、人々の信仰の一番大切な部分を表すものであり、歴史のなかで時代ごとに変はっていくことは、ある意味で当然である。庭上祭祀、そして遙拝祭祀。古代の祭式を知り、どう立ち戻って考へるかといふことである。歴史を遡って神道の本質を明らかにしようとする時、近代の祭祀・神道との接点をしっかり見ていくことが不可欠であると、改めて考へてゐる。

(國學院大學神道文化学部教授 岡田 莊司氏)

 

 

 


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