投稿日:2020年9月21日(月)
【神道百言81】
『天照らす神のみ名のみ唱へても あたまの恵みあらんとぞ思ふ』~吉川惟足・六根清浄大祓口授~
(~略~この神名を続けて何回もお唱へ申し上げることは、この大神のみ心(御心)に帰一し奉らう・仰ぎ奉らうとする心をせき立て、深めるものである。
~略~その時、その人の心は、神のみ心(御心)と同一化し、その大神のみ心になり切れるのである。そこに、大神のみ心(御心)が働いてゐることによつて、その人は神の恵みとして、これを受けとることが出来る。
このことは、それぞれの神社にあつても、それぞれの奉仕神社の祭神名を奉唱することが信仰を深める上に大切なる所以を教へてゐるものといへよう。)
言霊(ことだま)ですね。山口県出身の詩人 金子みすずの『こだまでしょうか』を思い出しました。宮司です。
こだまでしょうか
「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。
「ばか」っていうと「ばか」っていう。
「もう遊ばない」っていうと「遊ばない」っていう。
そうして、あとでさみしくなって、
「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、いいえ、誰でも。
さて毎年9月の第3土曜日は、兼務で宮司を務めます藤沢市石川に鎮座する諏訪神社の例祭ということで19日にご奉仕致しました。
例年であれば、私が到着する頃には多くの方々が神楽殿やお神輿・お囃子の準備をされておりますが、本年は役員さん4人のみと大変寂しいお祭りとなりました。
とはいえ、定刻前・祭典後には普段話題にのぼらないようなお話しをすることが出来、有意義な時間となりました。
同社に来るたびに、本殿の覆屋(おおいや)の梁の大きさに圧倒されます。(写真が上手く撮れていませんでした。失礼致しました・・・)お参りの際にはご覧いただければと思います。(隣の御社の男根様も是非お参り下さい)
来年はコロナ対策をして盛大に!どうぞ宜しくお願い致します。おめでとうございました。