投稿日:2021年11月4日(木)
たまに歌を謡うと、年齢とともに自分の声に張りがなくなってきたと痛感します。いい祝詞を奏上するためには日常的に発声練習なども必要なのかな…と思っております…権禰宜の遠藤です。
さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』令和3年10月25日号掲載のコラム「杜に想ふ」をご紹介致します。
【杜に想ふ~声の力量~】
「「言霊(ことだま)」について、あらためて考へることになった。
親しい友人の山根基世さん(元NHKアナウンサー)が主催する「声の力を学ぶ」といふセミナーの一コマを担当することになったからである。山根さんは、御自由にお話しいただいていいですよ、といひながら他の講師とテーマをはかりながら、この領域の話題が欲しいわよね、とつぶやいたことであった。
言霊は、言葉のもつ不思議な力にほかならない。辞典類によると、古代において、古代人において禍福を左右すると信じられてゐた、と限定するむきがある。そして、一様に「磯城島(しきしま)の日本(やまと)の国は言霊の幸(さき)はふ国ぞま幸くありこそ」といふ『万葉集』(巻第十三)での柿本人麻呂の歌を引いてゐる。
たしかに、古くは呪術的な信仰があったのであらう。そして、現代の私たちは、そのことを意識することもなく、したがって信じるに及ばない、とするのであらう。
しかし、古代に限定しての霊力、とみるのはいかがなものか。また、現代には無縁とみるのはいかがなものか。
たとへば、神事における警蹕である。降神を先導する意味もあるし、参列者に静粛をうながす意味もある。私たち神職の作法は、伏した姿勢での「オーッ」の連呼に代表される。
が、古くは「オウオウ」とか「オシオシ」の発声もあった、といふ(『神道大辞典』)。
それはともかくとして、その声質である。音量である。ただの呼び声や掛け声ではあるまい。私は、そこにも言霊が潜む、と思ってゐる。しかし、私には、聞く人をしてさうだと思はせるだけの自信はない。どうすればよいかもわからない。
以前、出羽修験の研究で第一人者だった戸川安章先生(明治39年(1906)~平成18年(2006))に聞いたことがある。山伏も本来は「オー」と警弾を発してゐたものだが、いつしか法螺貝での「ボオー」となった、と。その言葉を、いま思ひだしてゐる。
そこで、注目すべきは、「オ」(オー)といふ母音の質である。これは、某民放局のアナウンサー女史に教はったことである。新人教育には、五つの母音の発声を試すのが定法、といふのだ。百メートル先に届くやうに発声をくり返す。それは、その人の声のクセをはかることにもなるが、そこで総じてわかるのは、「オ」がもっとも素直に遠くまで届く母音だといふこと。ちなみに、「イ」がもっともむつかしい母音だといふ。それは、彼女個人の経験律ではない、といふことで、私はいたく納得したものだ。
身近なところでも、人を呼ぶのに「オーイ」、と声がけする。こだま(木霊)も、かつては「オーイ」が第一声であった。これも、警無とも無縁ではあるまい、と思へるのである。
まづは、「オー」を遠くに長く。細くとも長く、か。それを何度も試してみるしかあるまい。あらたまって、さう思ったしだいである。(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)」