投稿日:2020年3月20日(金)
今日は春分の日。祝日法によれば「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」とされています。天文の世界では二十四節季の第4で、昼と夜の長さが同じ日とされています。
日本では3月20日または21日のいずれかの日ということで、お彼岸の中日でもあります。祝祭日には国旗を掲げてお祝いしましょう!…権禰宜の遠藤です。
さて、神社界唯一の業界紙である『神社新報』令和2年1月1日号掲載のコラム「神宮だより」を御紹介致します。
【杜に想ふ~神楽の距離~】
「11月5日に、「比婆斎庭神楽(ひばさにはかぐら)」を見学した。広島県東北部の旧比婆郡(現、庄原市)に伝はる。それも、旧比婆郡内でも比和町と高野町だけに伝はる。
比婆といへば、国の重要無形民俗文化財にも指定されてゐる比婆の荒神(こうじん)神楽が一般的にはよく知られてゐる。この比婆斎庭神楽は、文化財に指定されることもなく、とくに観客を集めることもなく、神職が相互に加勢することによって伝へられてきたのだ。その歴史は、数百年さかのぼれる、といふ。
「社家神楽」そのものが、現在では稀なる伝承である。壱岐神楽(長崎県)や奥飯石神楽(島根県)など、十指に足りるほどの残存例しかない。全国で二千件もあらうかといふ(数へきれない)神楽のなかで稀有な存在なのだ。社家神楽が減少したのには、それなりの理由があるが、ここではふれないでおく。
そのときの比婆斎庭神楽であるが、日向山八幡神社でおこなはれた。
拝殿を締め切った電灯の明かりのなかで、礼服姿の総代たちと私たち部外者十数人が片面に三列並んで座る。その対面に太鼓と笛と鉦の奏者が4人並ぶ。神楽は、中央で舞はれるわけだが、三畳間ほどの広さしかない。楽屋に相当する舞手の控へには幣殿が使はれる。幕での仕切りもない、まことに無造作なしつらへである。
かつては、七座神楽ともいって7つの演目があった。現在は、榊舞・魔払ひ(猿田彦舞)・大仙・八幡の能の4つが舞はれる。すべて、単独舞である。前2つが清めの舞、後の2つが能舞。榊舞以外は、仮面や頭髪をかぶり、衣装も相応に派手である。そのところでは、近辺の他の神楽と同じやうに、近世での変化があったのだらう。
舞は、型どほりに粛々としたものであった。神楽歌や言ひたても少ない。演劇性が乏しい、それが古流であらうことは、疑ふまでもないことである。
とくに、最後の八幡神の舞は神々しいものであった。八幡神がそろそろと近づいてくると、皆が頭をたれてゐた。
さうか、とあらためて納得した。至近の距離での神楽に意味があるのだ、と。そこでの演者は見栄を張ることもないし、観客も拍手を打つこともないのだ。両者が自然と神懸る状態に近づく、それが神楽の祖型ではないか、とも思ったのである。あわただしくもあったが、よい機会であった。
じつは、私の郷里でも、神職による座神楽が伝はる。私も演じる。
横打ちの太鼓を叩きながら、神楽歌と甲上げ(口祝詞)を唱へての祈橋である。なかなか無我の境地には至らないが、まれに体が宙に浮いた気分を味はふことがある。正月には、さうしたなかで令和2年の彌栄を祈念したい、と思ってゐる。(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)」