投稿日:2018年8月12日(日)
昨日から実質的なお盆休みという方も多いと思います。日常的に車を運転しない人が、こういう時に車道に出て事故に…というケースが多いようです。お互いに気をつけたいものですね…権禰宜の遠藤です。
さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』平成29年10月2日号掲載のコラム「神宮だより」をご紹介致します。
【神宮だより】~享和元年公卿敕使宮川川原祓之圖~
「明治26年(1893)11月、神宮主典河埼維吉が神宮に奉納した神宮文庫が所蔵する図である。
享和元年(1801)3月、光格天皇は辛西革命の御祈願につき、公卿勅使として権大納言花山院愛徳を神宮に御差遣になられた。古来、 恒例臨時に拘らず、奉幣に御参向の勅使一行が御幣用及び御神宝類とともに京都から伊勢への途次、最後の厳重な御は、伊勢の入口であっ た宮川右岸の川原で執行され、「宮川川原祓」 と呼ばれた。
中央に位置する修破所役は前大宮司従二位中臣朝臣河邊長堯、その正面には幣帛辛櫃と神宝辛櫃が据ゑられてゐる。河邊長堯の右側には、公卿勅使・正二位権大納言兼右近衛大将藤原朝臣花山院愛徳、中臣使・前祭主正二位大中臣藤波季忠、王代使・従五位下兵庫介源朝臣川越定賢、忌部使・従五位下能登守斎部宿禰真継康寧が著座してゐる。
朝廷から神宮に発遣される奉幣使には、毎年の恒例として神嘗祭にあたって差遣される恒例奉幣使(例幣使)と、皇室・国家・神宮の重大 事に差遣される臨時奉幣使があった。臨時奉幣使のうち格別の大事に際しては、三位・参議以上の議政官である高位官者(公卿)が充てられ た。これを公卿勅使といひ四姓使(王・中臣・ 忌部・ト部の四姓)が副従した。
通常の臨時奉幣は、宣命一通(中臣使読進用) にして例幣使に準じ四姓使の差遣に止まったのに対し、公卿勅使の臨時奉幣に至っては、宣命2通となり、そのうち1通は御歴代天皇がお手づから筆を執られた宸筆宣命(中臣使読進用を青紙宣命といひ、公卿勅使奏上用を白紙宣命と称した)であった。そして公卿を勅使の首座にし、例幣の四姓使をこれに副へる形で差遣された。
天皇が神宮に御参拝されることのなかった明治2年(1869)まで、このやうな公卿勅使差遣の奉幣は、臨時祭における盛大な儀式の一つであった。」