投稿日:2018年6月18日(月)
今朝、大阪府北部を中心に、震度6弱の地震が発生しました。政府発表では大きな被害の報告は現在の所無いとのことですが、余震が続いていますので警戒が必要です。…権禰宜の遠藤です。
さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』平成30年3月19日号掲載のコラム「神宮だより」を御紹介致します。
「【神宮だより~神宮徴古館名品解説「吉田初三郎の鳥瞰図」
倉田山(くらたやま)・徴古館(ちょうこかん)を中心にして描く大パノラマ(鳥瞰図)。見渡す限りの景色が視界を占有し、圧巻の一言に尽きる。
吉田初三郎(よしだはつさぶろう=明治17年~昭和30年)は、日本全国の名所図絵を手がけ、当時鳥瞰図の第一人者として活躍した画家である。
昭和天皇(当時皇太子)が大正3年男山八幡宮(現・石清水八幡宮)に行啓の際、初三郎が手掛けた案内図を御覧になり、「是れは綺麗で解り易い。東京へ持ち帰って学友に頒かちたい」との御言葉を賜ったことで、日本全国の名所図絵を描き上げてみせる、と一念発起したといふ。大正から昭和にかけては、鉄道の普及によって観光旅行が庶民の間でも盛んになった時代でもあり、作者は「大正広重」と名を馳せ、さまざまな観光名所の鳥瞰図を手がけていった。
昭和3年の御大礼記念の折には《愛知県鳥瞰図》を描き御座所に掲額した。そして翌年の4年秋、第58回神宮式年遷宮を記念し、神宮からの依頼で《伊勢神宮大鳥瞰図》(旧・両宮及別宮摂末社包含鳥瞰図)を描き、同時に《内宮鳥瞰図》《外宮鳥瞰図》を5年に納めたが、この二点は戦火により焼失してしまった。しばらくの間、当資料は他二点と同様に焼失したと思はれてゐたが、平成7年に本紙のみの状態で発見され、パネルへと表装を直し現在へと至る。
歌川広重の名所図絵を、名高く不朽の名作であると信奉してゐた作者は、名所を一枚の浮世絵として残す《東海道五十三次》と対比して、何百枚のスケッチが集まることによってでき上がる鳥瞰図絵として描き続けていきたい、と述べた。変はり続けていく田園や都市の風景を実地踏査して写生を続け、それを後世に残していくことを理想としてゐた。
インターネットなど実際に鳥の視点で世界を見ることのできる技術が発達した現在でも、鳥瞰図の任期は根強い。全国各地で都市化の波が押し寄せる中、過ぎ去った景色に対する郷愁と憧憬が、我々の心を離さないのかもしれない。戦火を乗り越え《伊勢神宮大鳥瞰図》が人々の記憶に残る不朽の作品となったことで、作者の理想は叶ったのではないだらうか。
<伊勢神宮大鳥瞰図、絹本着色、パネル、縦109.7㎝×横519.7㎝>」