投稿日:2018年7月24日(火)
例祭の後片付けも終わり、夏を満喫する準備が整いました…権禰宜の遠藤です。
さて、伊勢神宮崇敬会発行の『みもすそ』86号(平成30年春)より、伊勢談草~宮川の渡しと道標~を御紹介致します。
【伊勢談草】~宮川の渡しと道標~
「お伊勢まいりの歴史は古い。交通史の上でも諸国からの善男善女は、参宮街道を通り神都に入るまで大変長い旅 であったと思われます。その玄関口と もいうべき伊勢最大の河川が宮川で、 当時、橋はありません。
宮川の渡しは主に二カ所あって、今の川端町と中島町を結んだ「上の渡し (柳の渡し)」は、紀州の和歌山街道 や熊野街道、関西方面から伊勢本街道を通る参宮人が利用しました。
いっぽう、今の小俣町と宮川町を結 んだ「下の渡し(桜の渡し)」は、関東方面などから東海道・伊勢街道を来た人が利用しました。京都から神宮に遣わされる勅使も船でここを渡り、右岸の河原でお祓いを受けてから神都に入られました。
写真の道標は、かつての茶屋町(旧宮川町)から今の常磐一丁目に移設さ れています。東面の刻文から文政五年 (1823)、大坂の吹田屋喜兵衛他二名の協賛を得て、伊勢の御師橋村右近大夫が建てたものと思われ、北面に「宮川渉場」、西面に「二見浦」、南面には「外宮・内宮」それぞれの里程 が刻まれております。
この道標は、元は北側の道にあったそうです。渡し場まで六丁三十九間 (約700メートル)の位置にあた り、多くの参宮人はこれをながめて往還したことでしょう。」