投稿日:2018年5月9日(水)
夏の様な連休中とは打って変わって3月の様な気候。気温の急激な変化で体調を崩しやすい季節でもあります。御自愛ください…権禰宜の遠藤です。
さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』平成30年2月5日号掲載のコラム「杜に想ふ~お鍬さま~」を御紹介致します。
【杜に想ふ ~お鍬さま~】
”師走”とは「伊勢の御師が御祓大麻の配札に走り出す」ことが語源とも言はれるが、”平成の御師”よろしく、全国の神職の方々には神宮大麻頒布や歳末の社頭の諸準備等々、めまぐるしい十二月を乗り越え、また一連の正月神事も一応は一段落されたことと拝察致します。神社によっては「初午」など、まだまだ忙しいとのお叱りも受けるかもしれないが、そこは一まづお許しを願ひ、暦の上では立春大吉を迎えられたことをお慶び申し上げたい。
さて、近年、私が正月の楽しみとしてゐることは、富山県から岐阜県へと抜ける山間の集落である富山市岩稲の本芳彦弘氏宅で伝承されてゐる民間習俗”お鍬さま”を奉拝することである。
「農家の仕事始め」とされる一月十一日の早朝、本芳家の広間の座布団にはきれいに泥を洗ひ落とされた「三つ鍬」と「平鍬」が据ゑ置かれ、丁重に蓋付き茶碗を用ゐて緑茶と蜜柑が供されてゐるのである。「三つ鍬」とは、一般的には備中鍬と称されるもので、刃先が三つに分かれてをり、粘り気のある泥が附きにくく、主に田圃で使用されて男神を表す。また「平鍬」は畠作りで用ゐられ、先端がやや丸形に造られてゐる形状で、女神を表してゐるとのこと。
小憩ののち「お鍬さま」は奥の座敷へと促され、本芳夫妻にそれぞれ捧持され、床の間を背にした座布団に遷される。その前にはすでに朱塗りの髙御膳に料理が並ぶ。昨年の出来事と新年を夫婦揃って迎へられたことに深々と感謝を申し上げたのち、お酒が注がれて祝い箸が勧められるのである。そして料理の一品一品について「上手に田圃が作れるやうに”田作り”、まめに働けるやうに”黒豆”、腰が曲がるまで元気に働けるやうに二尾の”海老”、慶びの多い年でありますやうにと”昆布”、目出度い”鯛の塩焼き”」と、日本の鍬に向かって恭しく紹介申し上げるのである。
程なく「お鍬さまに勧められた」として、まさに「お流れ頂戴」のやうに御膳の方から自身に手を向けて、実際にお酒を戴くのである。傍目には手酌に見られてしまふが、温もりのある方言での神様とのやり取りは実にほのぼのとして深甚なる光景でもあり、まさに「神人共食」の姿そのものである。ユネスコの無形文化遺産に指定される隣県の石川県の「奥能登のあへのこと」とも極めて類似してをり、民俗学的にも極めて興味深い習俗である。
戦後間もない頃は地区の数軒でもおこなはれてゐたとのことだが、農業の機械化が進んだ現代では、本芳家で伝承されるのみとなってしまった。聞けば夫妻は今年揃って八十二歳となられ、六十周年の結婚記念日を迎えられたとのこと。二人のにこやかな笑顔は夫婦愛と長寿を愛でた謡曲「高砂」の尉と姥をも彷彿とさせ、当方まで幸せな気持ちにさせてくれる。「来年の事を話すと鬼が笑ふ」と言はれるが、明年の正月にも健やかなお二人に出会へることを楽しみにしたい。」