投稿日:2017年10月8日(日)
藤沢市内唯一の女子神職 佐藤出仕による更新は、カテゴリー『女子神職日記』にて。宮司です。
さて去る9月25日は、毎年曜日に関係なく鎌倉市山崎(やまさき。やまざき ではない)に鎮座されます北野神社(坂ノ下 御霊神社宮司兼務社)で例祭・鎌倉神楽が斎行されお手伝いに伺いました。
11時。会館に到着。
【少年もやがて年寄りになる。年寄りを大事にすることは、やがての自分を大事にすることである】
を拝しながら昼食。
正午、会館を徒歩で出発し、205段の階段を登って神社へ。
車が通れる道が無く、電気・ガス・水道が無い中で、例祭と神楽を行うということは・・・全て総代さんの人力!氏子さんのお祭りに対する愛を感じずにはいられません。ありがとうございます。(数年前までは神楽で使う水も運んでいたそうですが、近年は前週に消防分団による消火訓練を行ってもらい、その際に水を確保しているとのこと)
(写真提供 会社を休んでお祭りに参加していた奇特な後輩(神社の氏子)より)
平日にも関わらず、小さな子供たちも参加してくれて賑やかに執り行われました。
そして帰路。神社入り口には、円覚寺のご住職に書いていただいたという大きな幟が1対。
何故、円覚寺のご住職が揮毫を?そして何が書いてあるのか判読出来ず・・・。(後述します)
往路の際には気付かなかった『江の島道 道標』昔はこの道しか無かったのでしょうか・・・?
会館に戻り、氏子の皆さんと直会です。
まずは、大幟の台座を新調奉納された前・総代会長への感謝状・記念品の贈呈がありました。本当に氏子さんに愛されている神様です。
その後、氏子さんお手製の神社の由緒書きと神楽の解説書をいただきました。
ご由緒の最後に・・・
『9月24日と25日に参道入り口の両側に、9メートル余りの大きな幟旗が掲揚されます。
右側に「威徳高輝文字神」(イトクハ、タカク、モジノカミニ、カガヤク)
左側に「霊香遍満梅花祖」(レイコウハ、アマネク、バイカノソニ、ミツ)の文字が記載されています。』
とありました。
また、
『北野神社は、(1.954年名称を北野天満宮から北野神社に変更し、地元では天神様と呼ばれています)歴応年間(1.338年~1.342年)に夢窓疎石が京都の北野天満宮から祭神(菅原道真)を勧請し、円覚寺の天神山に祀ったのが始まりと言われています。
~略~
1.362年に円覚寺の黄梅院が神社を再建した後は、神田や寺領はほとんどなかったと言われています。江戸時代になってから、村の鎮守となり、1.797年に村の祭日や神楽等を決め、それがほぼ今も引き継がれています。』以後略。
10年近くお伺いしておりますが、新しい発見があったり、何より神社(神様)と氏子のあるべき関係・姿というものの美しさに心底感激致しました。
そして、そんな熱心な氏子さんが多いことから、直会の席では入れ代わり立ち代わり挨拶のお酌に来られ、下戸の神職一同は千鳥足になりながら帰社致しました。
天神様の益々のご隆昌と、氏子皆様の弥栄を祈念申し上げます。お世話になりました。おめでとうございました!