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今日のフジ と 【タウンニュース記事】『鎌倉殿の13人』 藤沢ゆかりの地を巡る③~伝義経首洗い井戸 非業の死に馳せる思い~
投稿日:2022年4月23日(土)
今朝は天気も良いので、朝からフジを観に来られる方が大勢お参りされています。弁慶藤の盛りは来週開けになろうかと存じますが、火曜日以降天気があまり良くないようですので、この土日がチャンスです…権禰宜の遠藤です。
<今日のフジ>
▽弁慶藤_房が長くなって、あとは満開になるのをまつばかりです。朝から大勢の方がフジを観にお詣りされています。
▽義経藤_房が大分伸びてきましたが、こちらはもう少しかかりそうです。
さて、タウンニュース藤沢版令和4年4月15日号掲載の特集記事「鎌倉殿の13人 藤沢ゆかりの地を巡る③~伝義経首洗い井戸 非業の死に馳せる思い~」をご紹介いたします。
【伝義経首洗い井戸『鎌倉殿の13人』藤沢ゆかりの地を辿る③ 非業の死に馳せる思い】
「NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の物語は『吾妻鏡』など歴史資料を基に構成されている。一方、埋葬場所など重要な出来事であっても資料には記載がなく、創造や伝承を元に描かれる出来事も多い。藤沢の東海道沿いには「源義経」の最期にまつわる伝承が残る「井戸」がある。
義経の最期は『吾妻鏡』によると、1189年、奥州平泉で自刃の後、首は鎌倉に送られ、梶原景時と和田義盛がその確認(首実検)を行ったと伝わる。首は片瀬の浜に捨てられたとあるが、葬られた場所などその後の記載はない。
次に「義経の首の行方」について書かれるのは江戸期。小川泰二(泰堂)が1830年に書いた藤沢市にまつわる資料「我が住む里」などでは、首は境川を遡り藤沢へ漂着、拾った村人が井戸で洗い清めたという。この時、首がしゃべり「自身が義経だ」と名乗ったという話や、首は亀の背中に乗って流れ着いたという話も残る。
市郷土歴史課によると、江戸期に新たな伝承が現れた理由の一つとして、歌舞伎『義経千本桜』など江戸時代の「義経ブーム」が背景にあるという。「判官贔屓(びいき)」という言葉のように、合戦で武功を挙げながら非業の死を遂げ「権力(幕府)にねじ伏せられた歴史の英雄」に人々は思いを馳せた。井戸は現在公園として整備され市民憩いの場に。静かに地域を見守り続ける。」