投稿日:2022年9月11日(日)
さて、神社新報社発行の『むすひ(令和4年)』より特集記事「年」をご紹介します。
「年」と聞けばまずは年齢のことを思い浮かべてしまう、年をとりたくない出仕の本山ですが、「とし」という言葉はどこからきたのか?そして今年150年という節目を迎える神宮大麻の歴史など書かれています。
タイトルの❝むすひ❞はあらゆるものを生み出す神霊(産霊)の意味で、奈良時代にはムスヒと清音で発音していました。❝むすひ❞❝むすび❞は人と人とを結ぶ縁などを表すばかりでなく、いろいろな働きをイメージさせる言葉です。
年の暮れには大掃除をして年越しそばを食べて、清々しい気持ちで新年を迎えたり、ひとつ歳を重ねたときには誕生日をお祝いしたり…私たちの生活には「年」という単位が深く浸透していて、その改まりや積み重ねを喜び感謝する心が自然と育まれています。
神社でも「年」とは縁深く、四季の巡りとともに、また節目節目に、さまざまなことを 祈り感謝を捧げるお祭りや行事がたくさん。今回の『むすひ』では、そんな「年」にスポットを当てました。積み重ねてゆく年や節目を大切にしている神社の姿を少しでも知っていただけたら、嬉しい限りです。
【年とおまつり】
「年」は、もともと実った穀物の穂を人が背負っている形に象ったもので、みのりの意。それが転じて「穀物が実る周期 “とし”」の意味で用いるようになります。今、何気なく使う「年」という単位は、遡れば農耕と繋がっていました。
神社は古くから稲作と深く関わりがあり、稲作のはじめにあたり五穀豊穣を願う「祈年祭」は まさしく字の通り。また「年神」と呼ばれるお正月にお迎えする神さまも、字の通り穀物の神さまです。子供たちが楽しみにするお年玉も、もとは年神さまに供えられた「年の賜物」をいただき、その力にふれることで無事に一年を過ごせるという信仰であったともいわれます。
私たちの大切な節目の「年」に、神社は寄り添っています。例えば子供の成長を祝っておこなわれる七五三、大人の仲間入りを祝う成人の儀式など。人々が健康で無事に成長していくことを祝い、そして見守ってきました。
神社そのものにも、お祝いする「年」があります。 御鎮座から千年といった節目や、定期的におこなわれる「式年」のお祭りです。御造営に関わるものでも、七年目ごとの長野・諏訪大社「御柱祭(おんばしらさい)」などさまざまですが、最も有名なのは伊勢神宮における「式年遷宮(しきねんせんぐう)」ではないでしょうか。神宮式年遷宮は年を重ねて二十年に一度、御正殿をはじめ諸殿舎を新しく作り神さまにお遷りいただくもので、殿内に奉納する装束や神宝も新調します。このいわゆる神さまのお引越しが節目にあることで、伝統やそれに携わる人々の思いも未来に繋いでいるのです。
【節目を迎えるお神札「神宮大麻」百五十年】
年末・年始に各神社で受ける お神札やお守りも皆さんの「年」に関わる大切なもの。一年間、家庭や身を守ってくれたお神札・お守りを神社に納め、新たなものを受ける……清々しい新年を迎える準備の一環です。
現在、年末に氏神さまのお神 札とともに各神社で頒布されている伊勢神宮のお神札は「神宮大麻(じんぐうたいま)」と呼ばれています。氏神さまが「地域の守り神さま」なら伊勢神宮は「日本の守り神さま」。そのため、どこの家庭でもお祀りしてもらえるよう、全国の各神社を通じて頒布がおこなわれているのです。
この「神宮大麻」には長い歴 史がありました。
【古くは「御祓大麻」】
「神宮大麻」は、もと「伊勢の御師(おんし)」と呼ばれる神職が、全国の伊勢神宮を崇敬する人たちのために祈祷し、祈願をこめて配布していた「御祓大麻(おはらいたいま)」に由来します。南北朝時代には頒布を全国域に広げ、積極的な活動を展開してゆきました。
伊勢信仰はしだいに広がり、江戸時代には全国的に普及。江戸の世では、なんと全国の約九割の家庭で「御祓大麻」が祀られていたといわれています。
【人々の願いをうけ】
明治の新たな世を迎え、そう した「伊勢の御師」の制度と「御祓大麻」の頒布も明治四年、廃止になります。しかし、全国には「御祓大麻」を通して「お伊勢さま」を信仰していた大勢の人が。神宮では各地からの願いをうけて、当時の官庁のひとつである神祇省に頒布を申し出ます。そして明治天皇の思召しにより、「御祓大麻」は「神宮大麻」 として頒布される形になったのです。
こうして「神宮大麻」は、伊勢神宮で奉製員により心をとめて奉製されるようになりました。 いまでは、さまざまな人の手を介して皆さんのもとに届けられ ています。
令和四年は、明治天皇の思召しにより「神宮大麻」の頒布が 始まった明治五年からちょうど百五十年。お神札を通して「お伊勢さま」を御自宅からお参りする暮らし……この節目の年を機に、実践してみてはいかがでしょうか。