投稿日:2024年3月4日(月)
藤沢宿まつりも終わり、今日は少し暖かく風も弱く、のんびりした雰囲気。暖かくて花粉が大量に飛ぶでしょうという予報です。
半世紀近く花粉症をやっている出仕の本山ですが、花粉症対策はもはや一周回って悟りの境地とでも言いますか、特に対策もせずなすがままにしております。
私の花粉症歴はさておき、この白旗神社の歴史について、思いを馳せることがよくあります。
白旗神社の創立年は不詳で、古くは相模国の一之宮寒川神社の御祭神 寒川比古命の御分霊を祀り、寒川神社と呼ばれていた、とのことでこれは鎌倉時代よりも昔のことなのでしょう。その後、源義経公が御祭神に加わって白旗神社となった、ということなのですが。
その後江戸時代までの長い時間にも白旗神社はこの地の氏神さまとして存在していたはずで、機会があれば知りたいところなのですが、現時点ではっきりしているのは、江戸時代文政11年(1828年)から7年をかけて天保6年(1835年)に現在の社殿が作られ完成したということ。
江戸時代後期です。藤沢宿はかなりの往来があって賑わっていたに違いありません。本殿の彫刻もなかなか立派で名前こそ残っていませんが当時の名匠に彫ったのだろうと想像がふくらみます。
天保6年(1835年)どんな世だったのでしょうね。
その時どんな人が何歳で生きていたのでしょうか・・・。
まず、江戸時代の人にしてはかなり長生きの葛飾北斎が75歳
記憶に新しい朝ドラ「らんまん」の主人公の妻の推し作家である曲亭馬琴先生は68歳
遠山の金さんこと遠山金四郎が42歳
天保の改革を行っていた水野忠邦は41歳。この時代も40代は働き盛りなのでしょうか。
そして井伊直弼は20歳で、勝海舟は12歳、吉田松陰5歳、近藤勇1歳・・・。
幕末の足音がヒタヒタと迫ってきますね。
どうでしょうか。年号だけではピンと来ないけれど、ちょっとだけイメージがわいてきませんか?