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【神社新報記事】神宮だより~内宮の御手洗場について~

投稿日:2024年5月16日(木)


【暦で見る九星の運勢シリーズ】七赤金星:令和6年6月(各自の九星についてはブログ末尾の表をご参照ください)「吉方…なし 低調運から脱出したもののまだまだ不安定なので、諸事漸進を。雑事多く本業が疎かになり実利を得るには時間がかかるので粘り強く。功を急がないこと。結果は後からついてくる」とのことです…権禰宜の遠藤です。

さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』令和6年4月8日号掲載のコラム「神宮だより」をご紹介致します。

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神宮だより

【神宮だより~内宮の御手洗場について~】

「内宮のほとりを流れる清流・五十鈴川(いすずがは)は、内宮御鎮座の昔に皇女・倭姫命が御裳の裾を濯いだとされることから御裳濯川(みもすそがは)とも称へられる。

第一鳥居を入った右手にこの五十鈴川の河畔で手を清める場所「御手洗場(みたらし)」がある。

この御手洗場の石垣は元禄5年(1692)に徳川五代将軍・綱吉の生母桂昌院が寄進したと伝へられてゐる。

『神宮史年表』によれば、この年4月に桂昌院は神宮に代参を遣はし、6月に桂昌院の寄進により外宮の斎王候殿(現行の四丈殿に相当する)を再興。

同時期に五十鈴川手水場石垣の修築に着手し、8月20日に普請が成就してゐる。

三代将軍・家光期以来、幕府と神宮は関はりが深かったが、綱吉将軍期は文治政治が進展し、たびたび神宮に代参を遣はすなど将軍家の神宮崇敬が深まった時代であった。

それには桂昌院の篤い信仰心も影響したものと思はれる。

鎌倉時代中頃に著された『伊勢太神宮参詣記』によれば、このあたりは川の州崎となってゐて、ここから北方(下流側)に長橋(宇治橋の原型と思はれる)が望まれたとある。

参詣人が川のほとりに立って周囲を眺め渡す景勝の地だったやうで、自然と手水場となってゐたやうだ。

御手洗場の上流部五十鈴川の本流と支流の島路川が合流する地点(河合淵)であり、五十鈴川の守り神とされる瀧祭神が祀られ、遷宮に関はる祭典の祓へが修される川原祓所もあるなど、古来神宮における祓ひ清めの地であった。」

(伊勢神宮崇敬会・小川倫太郎)

R6厄年表

 


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