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【神社新報コラム】こもれび~神輿と街歩き~

投稿日:2024年3月15日(金)


藤沢から羽田空港まで直行する高速バスがしばらく運休。明日に利用するつもりであったので少し残念な出仕の宇多です。

本日は、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』令和6年3月4日号掲載のコラム「こもれび」をご紹介致します。

ちなみに、このコラムに寄稿した大東敬明先生は、私が大學時代に神道史学や古典講読の講義で大変お世話になった先生でもあります。

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神輿と街歩き 大東敬明

先日、テレビで講談「忠臣蔵銘々伝より 赤垣源蔵 徳利の別れ」を観た。これは、赤穂浪士の一人である赤垣源蔵が、吉良邸に討ち入る前に、兄の塩山伊左衛門にそれとなく別れの挨拶に行く物語である。とりわけ、留守であった兄の羽織を掛けてもらひ、その前で源蔵が酒を飲む場面が知られてゐる。物語の舞台は、伊左衛門が仕へる脇坂淡路守の屋敷があった汐留(芝汐留)附近、現在の東京・新橋駅の東側である。

江戸の年中行事について記した『東都歳事記』や、地誌である『江戸名所図会』をみると、汐留界隈に鎮座する日比谷稲荷社(日比谷神社)、少し離れた幸橋あたりに鎮座する烏森稲荷社(烏森神社)では、二月の初午に神輿が出て、お旅所へ渡御するとある。いづれも賑はったやうである。

先述の『東都歳事記』『江戸名所図会』で神輿の巡幸路や産子町を確認し、神社を起点に歩くとさまざまな発見がある。最近では、スマートフォンのアプリケーションを使って、ここは南伝場町、ここは旧新橋停車場・脇坂淡路守の屋敷と、かつての地図上で現在地を確認しながら街を歩くこともできる。なほ、東京の街歩きには吉見俊哉先生(現・國學院大學観光まちづくり学部教授)の『東京裏返し 社会学的街歩きガイド』(集英社新書)や、続編の連載(『すばる』)の視点も参考にしてゐる。

東京の祭りに限らず、神社からお旅所、そしてまた神社へと神輿の巡幸路を歩くうちに、小祠や庚申塔、祭りのポスター、地域の方々に親しまれてゐる定食屋・古本屋・肉屋のコロッケ、江戸時代からありさうな細い道、暗渠となった川筋など、徒歩ならではの風景が見えてくる。これらの中には、地域の歴史や人々の暮らしと密接に結びついてゐるものも多い。

祭りの日に歩くと、ともに神輿をかつぎ、山車や屋台をひき、飲食をするなどして、地域の人々のつながりが深められてゐることを感じることもある。汐留界隈では、初午によって地域の人々のつながりが強められたのではなからうか。

このように公団から地域の祭りへと連想を重ねてきたが、最近、あらためて地域の歴史や、そこに住む人々のつながりから祭りを考へてみたいと思ふやうになった。その視点の一つに神輿を据ゑたい。そのためには、神社や祭り、神輿の巡幸路を意識しながら地域を歩く必要があると感じてゐる。

「こもれび」欄とも、今回でお別れとなる。最後に、つたない文章をお読みいただいた方々に御礼申し上げたい。


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
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