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【神社新報記事 「全国護國神社會連載 わが社の御祭神~勲功・遺徳を次世代へ~」長野縣護國神社】
投稿日:2025年10月24日(金)
【暦で見る九星の運勢シリーズ】八白土星:令和7年11月(各自の九星についてはブログ末尾の表をご参照ください)「吉方…東、南、北 まじめにコツコツ活動すると吉意増す。今は大きく伸びようとすることよりも、しっかり根を張ることに励んで下さい。現状を維持して、控え目を守って。時を待つ心掛けが大事。」とのことです…権禰宜の本山です。
さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』令和7年7月7日号掲載の連載記事。「全国護國神社會連載 わが社の御祭神~勲功・遺徳を次世代へ~」をご紹介致します。
全国の護国神社の宮司さん方が連載する企画で、本年令和7年に大東亜戦争終戦より80年を迎えるにあたり神社新報に継続的に連載されます。
当社が鎮座する神奈川県は、47都道府県で唯一護國神社がありません。各県護國神社にお祀りされている英霊のことについて、当ブログをご覧の皆様に少しでも知っていただく意味でも、できる限りご紹介していきたいと存じます。

全国護國神社會連載 わが社の御祭神~勲功・遺徳を次世代へ~
高い戦略眼と深い人間性あはせもち
長野縣護國神社宮司 奥谷 一文

栗林忠道命は明治二十四年七月七日、長野県埴科郡西条村(現・長野市松城町)に生まれた。信州の自然豊かな環境に育ち、四季折々の風景や農村の暮らしに囲まれた幼少期を過ごす。家族は地域の伝統や礼節を重んじ、栗林命もまたそのなかで勤勉さや誠実さを身に着けた。
とくに父の厳格ながらも愛情深い教育は、栗林命に強い責任感を芽生えさせる。また、周囲の人々との関はりを大切にし、温厚で協調性のある性格が育まれていった。
騎兵第十五連隊附となった栗林命は、陸軍大学校卒業ののち、米国駐在武官として勤務。軍事研究の傍ら、ハーバード大学、ミシガン大学で米国史や当時の国情も学び、敵国となる以前からその国力・文化への理解を深める。この経験が栗林命を国際的で広い視野を持った稀有な軍人にし、戦略的な思考や冷静な判断力に大きく寄与した。
かうした道を辿った栗林命が最後に指揮を執ったのが、硫黄島の戦ひだ。「指揮官はつねに最前線に立つべし」といふ信念と「階級にかかはらず、すべての将兵が不便を分かち合ひ、苦楽をともにすべき」といふ方針に基づき、司令部を硫黄島において地下壕やトンネルを駆使し、徹底した持久戦を展開。兵士の生命を重視した防禦戦術を採用し、圧倒的な兵力と火力を誇る米軍に対して三十六日間もの激戦をくり広げた。さらに栗林命は司令官でありながら最前線に立ち、兵士と同じ地下壕で生活し、直接命令を下すことで士気を維持。その姿勢は、多くの兵士の信頼を集めた。
硫黄島での戦ひは、常識を覆す革新的なものであり、米軍にも大きな損害と精神的打撃を与へる。その戦術的手腕とみごとな指揮ぶりは、戦後、国内外から高い評価を受けることとなった。敵将からも、「最も手ごはい指揮官」として畏敬の念をもって語られてゐる。
優れた軍人である一方、家族や部下への思ひやりに満ちた行動・言葉は、栗林命の人間としての魅力を際立たせてゐる。戦場の極限状態にあっても、命は家族への手紙を書き続けた。そこには実にきめ細やかな配慮と愛情、責任感、そして別れの覚悟が静かに綴られてゐる。
例へば家族に宛てた手紙の「お前にもう一度会って、ありがたうと言ひたい」といふ一節は、愛するひとへの静かな感謝と別れの名文として知られてゐる。また、「戦地に散る兵の影に、国の明日を見る」といふ表現も。そこからは戦争の現実と未来への思ひが鮮やかに浮かび上がる。彼の残した数多の詩や手紙……そのひとつひとつから情緒豊かな文化人としての一面を垣間見ることができる。
名勝・栗林忠道命は、高い戦略眼と深い人間性をあはせもつ稀有な軍人であり、その根柢に貫かれてゐるのは、家族や部下への深い愛情と強い責任感。さうした姿は生命の大切さと平和の重みを問ひかける象徴でもあり、今もなほ多くの人々に感動と教訓を与へ続ける。
硫黄島での死闘が終はってから今年で八十年。それは命の歿後八十年でもある。歴史に燦然と輝く栗林忠道命の御名は、未来に向けて語り継がれるべきものである。
長野県護國神社
住所 長野県松本市美須々6-1
電話 0263-36-1377
祭神 六万四千柱
例祭 四月二十九・三十日」
















