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【神社新報記事】 「全国護國神社會連載 わが社の御祭神~勲功・遺徳を次世代へ~」熊本縣護國神社
投稿日:2025年8月2日(土)
【暦で見る九星の運勢シリーズ】九紫火星:令和7年8月(各自の九星についてはブログ末尾の表をご参照ください)「吉方…南東 明るい運気とはいえ、かなり不安定になりやすいので、十分気を付けて、諸事ゆっくりと。イライラして短気を起こさず落ち着いて。物事の本質を見極めるように努めてください」とのことです…権禰宜の遠藤です。
さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』令和7年4月28日号掲載の連載記事。「全国護國神社會連載 わが社の御祭神~勲功・遺徳を次世代へ~」をご紹介致します。
全国の護国神社の宮司さん方が連載する企画で、本年令和7年に大東亜戦争終戦より80年を迎えるにあたり神社新報に継続的に連載されます。
当社が鎮座する神奈川県は、47都道府県で唯一護國神社がありません。各県護國神社にお祀りされている英霊のことについて、当ブログをご覧の皆様に少しでも知っていただく意味でも、できる限りご紹介していきたいと存じます。

全国護國神社會連載 わが社の御祭神~勲功・遺徳を次世代へ~
みごとな統率力と気遣ふ心あはせ持ち
熊本縣護國神社宮司 坂本 彦

「西太平洋に浮かぶパラオ共和国は、大小四百余りの島々からなり、そのなかにペリリュー島があります。南北約九キロ・東西約三キロといふこの小さな島で、昭和十九年九月十五日から七十余日に亙る死闘が繰り広げられ、当社御祭神・中川州男命率ゐる約一万一千人の精強な日本軍と、約五万人の米軍が激突。一万余の日本将兵が玉砕し、米軍も一万人を超える死傷者を出しました。明治三十一年に生まれた中川州男命は、昭和十四年陸軍大学校専科を卒業。昭和十九年四月、所属する第十四師団はパラオ諸島に向け出航します。ペリリュー島には、当時東洋一といはれた飛行場があり、アメリカ軍は飛行場の奪取を目標としてゐました。
赴任早々、中川命は大佐としてみごとな統率力を発揮し、いはゆる「万歳突撃」を固く禁じて、「太平洋の防波堤」となるべく約五百もの入り口を持つ地下陣地を構築。徹底した持久戦を命じました。同時に米軍の上陸が迫るなか、島民に被害が及ばないやう、約八百人の原住民と約百六十人の在留邦人を別の島に疎開させます。米軍の侵攻が迫ると島民の代表から「一緒に戦はせてほしい」との申し出を受けますが、中川命は「貴様ら土人と一緒にわれわれ帝国陸軍が戦へると思ふか!」と拒否。島民は失望しますが、島民を乗せた大発動艇が波止場を離れた瞬間、日本兵が軍帽を振って浜へ走り出て、陣地構築作業中に一緒に歌った歌を合唱しながら見送ったのです。その刹那、島民たちは大佐以下日本兵の真意を理解したと言はれてゐます。
ペリリュー戦の最中、昭和天皇は守備隊の敢闘に対して、異例となる十一回もの御嘉賞を下賜されました。この島が「天皇の島」と称される所以です。平成二十七年には、天皇・皇后両陛下(当時)がご訪問になり、日本の方角に向けて建てられた「西太平洋誠意没者の碑」に白菊を供へられ深々と御拝礼されました。
山岳陣地の中央部にあるペリリュー神社の鳥居の横には、御製「戦ひにあまたの人の失せしとふ島緑にて海に横たふ」、御歌「逝きし人の御霊かと見つむパラオなる海上を飛ぶ白きアジサシ」が掲げられてゐます。
また、境内には米太平洋艦隊司令長官ニミッツ元帥の、「諸国から訪れる旅人たちよ、この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心を持って戦ひ、そして玉砕したかを伝へられよ」といふ英文とともに刻まれた碑が建ってゐます。日本軍兵士たちの武士道に共鳴した敵将の哀悼の念溢れる讚辞です。
熊本市北区にある命の墓には島の貝殻と砂のみで遺骨は収められてゐません。平成四年、現地を訪れたミツエ夫人は、遺骨の探索を勧められたとき、「部下の皆様の御遺骨がまだ戻ってゐないのに、主人は自分だけ先に帰ることを許さないはずです。俺は最後でいいよと言ってゐるはずです」と、潔く断られたといひます。
昨年八月に、「世界が認めた郷土の英霊たち」と題し、当社に奉納された中川命の大礼服をはじめ、特殊潜航艇でシドニー湾に突入し豪政府が海軍葬で弔った松尾敬宇中佐、占領地の住民に慕はれたインドネシアのメチド落下傘部隊隊長・堀内豊秋大佐等の展示をおこなひました。これからも当社が収蔵する御遺品を、県民に広く展覧する機会を設けたいと企図してゐるところです。
熊本縣護國神社
住所 熊本市中央区宮内3-1
電話 096-352-6353
祭神 六万五千余柱
例祭 四月二日・十月十日」

















