ホーム » ブログ » 【神社新報記事】 「全国護國神社會連載 わが社の御祭神~勲功・遺徳を次世代へ~山口縣護國神社

【神社新報記事】 「全国護國神社會連載 わが社の御祭神~勲功・遺徳を次世代へ~山口縣護國神社

投稿日:2025年8月15日(金)


残念ながら私の母校、南陽工業高校の野球部は山口県大会の決勝で敗れているので今年は観戦に行っておりません・・・県代表校である高川学園の一回戦勝利を見届けた権禰宜の宇多です。

 

さて、本日は大東亜戦争の終戦から80年の節目を迎えます。神社界唯一の業界紙であります『神社新報』令和7年7月28日号掲載の連載記事。「全国護國神社會連載 わが社の御祭神~勲功・遺徳を次世代へ~」をご紹介致します。

全国の護国神社の宮司さん方が連載する企画で、本年令和7年に大東亜戦争終戦より80年を迎えるにあたり神社新報に継続的に連載されます。

当社が鎮座する神奈川県は、47都道府県で唯一護國神社がありません。各県護國神社にお祀りされている英霊のことについて、当ブログをご覧の皆様に少しでも知っていただく意味でも、できる限りご紹介していきたいと存じます。

神社新報ロゴ

全国護國神社會連載 わが社の御祭神~勲功・遺徳を次世代へ~

戦地からの手紙

山口縣護國神社宮司 津田 勉

山口縣護國神社

「当社からは、山口県宇部市より出征し、中国(北支)で戦死された湊正之進命を紹介したい。

正之進命は、大正四年一月一日に宇部市に生まれ、昭和十一年山口歩兵第四十二連隊に入隊。翌十二年八月一日に北支戦線に出征され、同年十月十四日、山西省忻口鎮(北京の南西四百キロ)にて戦死された。

山西省太原にある忻口鎮。彼の地では、昭和十二年七月に起きた盧溝橋事件に始まる支邦事変初期、九月から十一月まで「太原侵攻作戦」が実施された。「太原侵攻作戦」は、日露戦争の激戦地「二〇三高地」になぞらへて「昭和の二〇三高地」と言はれた激しい戦ひ。正之進命は彼の地において散華されたのだった。この支邦事変は、大東亜戦争へと拡大する。

正之進命は、四十二連隊入隊後も頻繁に両親へ手紙・葉書を出してをり、その手紙を父親は大切にしてゐた。近年、姪の湊典子さんが、その手紙を整理した際、「供養になれば」と活字化。昨年夏に、当社社務所に送り届けてくださった。その手紙によって正之進命の出征から戦死までの軌跡を辿る。

山口氏駐屯の四十二連隊には、昭和十二年七月二十七日に応急動員令が下達された。

七月二十九日消印の官製葉書には、かう記されてゐる。「メイ、クダル コトヅケ、アリ、アスコイ、イヨ〱、三十一日、エイモンデル」。

そして正之進命は八月一日広島宇品港を出発。八月四日に釜山に上陸した。

おそらく八月五日に書いたと思はれる便箋には釜山到着の知らせが。「各所至る所にて天地も揺るがすばかりの御見送りを受け(中略)特に宇品出帆の際は其の光景たるや実に口筆にては盡し難し(中略)気度〱凱旋する覚悟です」と見送りへの感謝を綴ってゐる。

以降、送られてきた書簡には、日記のやうにその日あったことが綴られてゐる。

八月十七日の出来事は「銃声は聞きつつもいまだ先頭には参加せず(中略)猛攻撃をなし飛行機、重砲等が浴びせる弾丸の音が物凄く響いてをります」と書かれてゐる。翌十八日にかけては南口鎮に向かって行軍してゐたやうだ。十八日午後のことが書いてある手紙には「我が部隊は約一里前方より野戦重砲を以て撃破し 時々飛行機の爆弾投下等で目前に敵陣地が破壊する様を眺め 其の砲撃が終ると 今度は我々が軽機関銃、小銃で逃げる敵を射ち殺す状況です 目のあたり敵の死体はばら〱 あちらにも、こちらにも山をなしてゐます」と、戦闘の壮絶さを浮かび上がらせてゐる。

八月二十九日は「午後一時中隊長浜田義一大尉戦死 続いて負傷兵がばら〱倒れ全く悲惨極まる所がありました」といふ悲痛な出来事が記されてゐた。そして行軍の苦しさと九月十三日の出来事が綴られた葉書はかうだ。「突然敵と出会ひ激戦の結果戦友四名を失ひ 我々も弾丸雨飛の中を攻撃し 約十時間交戦の結果敵は午前二時退却(中略)十三日の激戦では全く九死に一生を得ました 此れもお守や千人縫のお蔭でせう」。

来信は以上で跡絶える。正之進命は、ひと月後の十月十四日忻口鎮にて戦死。銃弾の胸部貫通であった。

姪・典子さんの言葉を以て終はることにしたい。

「お守りも千人針も効力はなかった・・・・・・筆まめな人なのに以後、忻口鎮で亡くなるまで約一か月来信も止まり、壮絶な状況下にあったことが窺える 案じているであろう両親への想いふつふつとし、書かずにはいられなかった非日常の体験が抑制された筆致で表されている。達筆かつ簡潔な表現。どんな教育を受ければこのように冷静な文章を書けるのか。享年二十二歳。無念の死というよりない。細部を聞かせてもらえる世代はすべて彼岸へ。想いを寄せ静かに手をあわせて、心からの冥福を祈るより術もない」。

 

山口縣護國神社

住所 山口市平野2-2-7

電話 083-922-2027

祭神 五万二千百三十柱

例祭 四月二十九日、十一月三日」

S__607182850

―実は私の曽祖父、宇多文夫(源行房)命は御祭神の一柱であり、湊正之進命と同じく山口歩兵第四十二連隊に所属しておりました。支邦事変を共に戦い、従軍した時期や作戦なども同一であることから、2人は生前に顔を合わせていたと推測できます。曽祖父が亡くなったのは敵軍が退却を開始した11月3日の当日。湊正之進命もその3週間ほど前に亡くなっています。この2人の最期から、いくら終戦や勝利が近くとも、死は常に傍に存在していることに、否が応でも残酷な事実として感じざるをえません。


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
ぜひ早起きした朝やお休みの日にでも、お気軽に当社にお越しください。皆様のご参拝を心よりお待ちしております。