投稿日:2021年9月26日(日)
【続 神道百言19】
『此慈悲ト智慧ト正直ヲ三種ノ六字ト云ゾ、先ヅ慈悲ヲ万ノ根元ト知レ、慈悲ヨリ出タル正直ガ誠ノ正直ゾ、又慈悲ナキ正直ハ刻薄ト云テ不正直ゾ、又慈悲ヨリ出タル智恵ガ誠ノ智慧ゾ、慈悲ナキ智慧ハ邪智慧ナリ』~松永道斎聞書~
徳川家康は、日本的の道(神道)を吉田家出身の神竜院梵舜に聞き、仏道を天海僧正に聞き、晩年は南無阿弥陀仏の六字の名号を毎日書いた。それがいま日光東照宮に残されてゐる。
先きに、三種神器の道理は慈悲、智慧、正直の三徳目に尽きるとし、これを南無阿弥陀仏の「六字の名号」に譬へ、これを帰命頂礼の精神とした。
その三徳目のうちで、家康が最も心の拠り所としたのは「慈悲心」で、慈悲の心になり切る以外に、人生はないとした。「慈悲こそは万行の根元」としたのがそれである。
正直も智慧も、あたたかい大きな慈悲心から出たものが本物である。慈悲心のない正直は不正直であり、刻薄なものだ、慈悲心のない智慧は悪智慧にすぎないとした。ここに家康の心の持ち方があり、神仏一味の境地がある。
慈(じ。いつくしみ)、悲(ひ。あわれみ)お祭りには慈悲の心が無いと成立しません。仏教の言葉ではありますが、神道でも大切にしたい言葉です。宮司です。
さて9月の第4土曜日は、兼務で宮司を務めます藤沢市高倉鎮座 諏訪神社の例祭が行われ奉仕に伺いました。
例年であれば例祭後に子供神輿・お囃子の町内巡行、神楽殿では奉納演芸が行われていますが本年も中止となりました。
神前には氏子の皆さんお手製のお野菜が奉納されており、特にお米は毎年同社の例祭に合わせて収穫・奉納されている正真正銘の新米とのこと。
今年はお供えが少ないですが、例年はお供えの台に載り切らないほどのお野菜が並びます。「昔は宮司さんにお金で御礼を渡せなかったので、みんなで沢山の野菜を持って来てもらっていた名残なんです。昔は宮司さんが運びきれなくて、後でお届けにうかがっていました。」とは古老のお話し。
参列は例年より少なくはありましたが、自治会長・消防分団長・老人会会長・子供会会長などが参列されました。
拝殿には14年前の狛犬入魂式の際の写真が掲げられており、懐かしく拝見致しました。(小雨が降っていたように記憶しております)
同社には「上高倉諏訪神社を守る会」があり、毎月1度清掃奉仕の際には皆さんで情報交換を行われているようですが、その他の会合・行事が無く、しばらくお顔を合わせていない方もいらっしゃるようで、コロナウイルスの収束を願っておられました。
氏子区域の平穏無事と皆様のご健勝を祈念申し上げました。おめでとうございました。