投稿日:2020年5月12日(火)
5月12日はナイチンゲールの日。近代看護の基礎を築いた功績を讃え、フローレンス・ナイチンゲール(1820〜1910)の誕生日にちなんで赤十字社が制定。長きにわたり新型コロナウイルス流行の最前線で医療現場を支え続けてくださっている医療従事者の皆様に感謝申し上げます。収束に向けての正念場である今、自分が出来ることをしていきたいです。権禰宜の佐藤です。
本日は伊勢神宮崇敬会発行の『みもすそ』94号(令和二年春)より、コラム 神宮摂末社の歴史 【皇大神宮所管社 大山祇神社】を御紹介致します。

神宮摂末社の歴史 【皇大神宮所管社 大山祇神社】
宇治橋を渡った東詰から警備の内見張を経て、神宮司庁に向かう中腹に皇大神宮所管社、大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)が鎮座致します。本社はかつて山神社と称しました。創立年代は不詳で すが、建久三年(一一九二)に荒木田 (井面(いのも))忠仲が著した『皇太神宮年中行事』正月七日条に「山神祭事」とあるのが初見記事で、「件(くだん)の神は岩井田村に在り」と明記され ていますので、少なくとも平安時代後期には現在地に鎮座していたと思われます。
荒木田(藤波)氏経が著した『寛正三年造内宮記』寛正四年(一四六三)正月十二 日条に「予(よ)の拝領の古材近所の社堂等に寄進す、殊(こと)に山神社の料材に悉(ことごと)く寄進せしむ(原 漢文)」とあり、内宮第四十回遷宮が前年十二月二十七日に斎行され、その解体された 正殿・西宝殿・御門等の古材の分配を氏経(予)も受けたわけですが、拝領した古材は近所の社堂に寄進し、殊に山神社の料材にあてました。室町中期の一記録ですが、正宮の古材が内宮所管の殿舎に再利用されていることをうかがい知る貴重資料でもあります。
延暦二十三年(八〇四)撰述の『皇太神宮儀式帳』に「伊鈴河上之大山中」、鎌倉 時代編集の『神宮雑例集』が所引する延長四年(九二六)四月十一日神祇官符に「太神宮四至、東南西深山」とある内宮域内は往古人里離れた地でありました。そして岩井田の地は神路山の山口にあたり、一説によれば、古代御造替の御用材を神路山から伐り出していた頃には、遷宮の初祭である山口祭を本社において行われていたとされます。中世に御杣山が他山に移動すると共に、山口祭場も石井(いわい)神社(嚴社(いわのやしろ)・現在の神宮司庁第二 駐車場近辺にある大岩。石井神社は現在津長神社に御同座)付近に移されました。
















