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善養寺惠介先生の尺八演奏会に行ってきました

投稿日:2022年12月16日(金)


善養寺先生パンフ表紙

去る12月8日、白旗神社の秋の邦楽の夕べに毎年演奏に来てくださっている善養寺惠介先生のコンサートに行ってまいりました。出仕の本山です。

令和2年紫綬褒章を受勲された記念のコンサートとのことで、誠におめでとうございます。

善養寺先生の尺八の音色には本当に衝撃を受けます。それまでの尺八のイメージが間違ってたと思いました。びっくりして、この前の邦楽の夕べの折に先生にもそのようにお伝えしたのです。多くの方がそのような反応をされるようで、善養寺先生はニヤリとされていらっしゃいました。呼吸と竹から生まれる深い音が心に浸み込んでくるのです。

コンサートでは和太鼓、三弦、箏との共演もありとても盛り上がり、最後の演目の後は会場が長い拍手に包まれていました。

このいずれは人間国宝にもなろうかという善養寺先生の演奏を、邦楽の夕べでは満月の下でゆったりした気持ちで楽しめますので、是非来年以降ご注目下さい。

パンフレットのご挨拶も素晴らしいので紹介させていただきます。

 

善養寺先生ご挨拶

『福寿の海、無量なり

「苦しい時の神頼み」という言葉があります。普段信仰のない人が窮地に追い詰められた時にだけ神仏に救いを求めることを言いますが、お釈迦さまが仰るように、この世は未来永劫に渡り生老病死の苦しみの連続ならば、人は神仏にすがらずにいられる時間はもともと無いのかもしれません。「お助け下さい」と手を合わす。でも実際には何の応えもない。それでもヤケにならずに手を合わすことを心に決めた人の精神は、実は思いもよらぬ強さをやがて備えることになるのではないでしょうか。私にはそのように思われてなりません。

「見えざる光」に眼を見開き、「聞こえざる声」に耳を傾け、永遠に一方向であり続ける対話を一心に続けることが「祈り」であり「信仰」であるならば、私にとっての音楽という行為も全くそれに符号するのであります。その覚悟を決めた者のみ、無限に満ち溢れる福寿を心に感じることが出来る。それが「福寿海無量」という言葉の意味ではないかと考えています。

一昨年の秋、思いがけずに紫綬褒章の栄に浴しましたのは、私を支えて下さった多くの皆様のお力のお陰に他なりません。感謝の気持ちを込めて開かせて頂きます今回の記念の会に、「獅子」「布袋」「鶴」「松」と文字ばかりは目出度い曲を並べさせて頂きましたが、中身はおよそ祝儀の気分とはかけ離れているとお感じになられるかも知れません。しかし私の心の中には、真の「寿ぎ」に至るには、仄暗く寂しいほどに静かな「祈り」の道を通らねばならぬという強い思いがあります。その竹の音を通じて皆様の心に、そして私自身の心に、いつか福寿の海の溢れることを信じて、精一杯演奏させて頂きます。改めまして、皆様にはこの年の瀬の慌ただしい中をご来臨賜り、心より感謝申し上げます。どうぞ、最後までお付き合い頂けましたらこれに勝る喜びはごさいません。

末尾となりましたが、既に二十年以上の長きに渡りご交誼を頂き、本日の快くご賛助をお引き寄せ下さいました、佐藤健作、山登松和、深海さとみ、藤本昭子各師の皆様、ならびに毎回研究資料としても保存版的な貴重な解説文をた賜ります神田可遊、谷垣内和子両先生に、この場をお借りして深く御礼申し上げます。

令和四年 十二月八日  善養寺 惠介』

また善養寺先生の尺八譜面が刊行されるとのことです。ご興味のある方は是非。

善養寺譜面


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
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