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【神社新報記事】奥能登の被災状況は~有志募り調査と支援活動(石川県神社庁)~ と 本日のフジ

投稿日:2024年4月23日(火)


藤の花に関するお問い合わせが大変多くなっております。紫の弁慶藤は現在見頃を迎え、天候にも依りますが、今週いっぱいはもつ予測です…権禰宜の遠藤です。

さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』令和6年4月22日号掲載の記事「奥能登の被災状況は~有志募り調査と支援活動(石川県神社庁)~」をご紹介致します。

前社に勤めていた頃の先輩が、石川県珠洲市へ災害派遣ボランティアに行かれるという事を聞き及びました。発災から3カ月余が経過し、被災地の報道自体が減少する中、尚の事報道されることの無い被災神社の状況をお知らせできればと存じます。少し長い記事ですが、最後までお目通しいただければ幸いです。

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【奥能登の被災状況は~有志募り調査と支援活動(石川県神社庁)~】

「<石川>県神社庁(北村嘉章町長)では、令和6年能登半島地震で甚大な被害に遭った奥能登地域に鎮座する神社の状況把握と復旧支援のため、3月11・12・18の各日、現地に調査員を派遣した。このうち11・12両日の活動に同行した。

県内の能登半島北部に位置する輪島・鳳至・珠洲各支部管内の神社では、交通網の寸断や宮司の高齢化、また避難などによって被害状況の把握が難航してゐた。このため県神社庁は県内神職から調査員を募って調査をおこなふことに。11日の調査には延村久嗣主事など約20人が参加し、鳳至・珠洲の二支部の神社を対象として五班に分かれて実施する事となった。午前6時過ぎ、金沢市の県神社庁庁舎に集合した調査員は、資材を積んだ軽トラックなどに分乗して出発。同行した県神道青年会(厚見行正会長)の会員ら6人で編成された班は、東側の沿岸部に向かった。

≪奥能登の被害爪痕未だ深く≫

被害の爪痕は、奥能登へ向かふにつれて徐々に色濃くなっていった。金沢から「のと里山空港」へと続く「のと里山海道」は、至る所で大小の陥没が見られ、なかには車輛が穴に落ちたままになってゐる場所も。脇を通る林道を一時的に整備して迂回させる箇所も多い。震災直後から、緊急車輛が通行できるやう工事が迅速におとなはれ、一般車との供用区間も徐々に拡大。3月15日からは輪島市方面に向かふ全線での通行が可能となってゐる。
この道路に設けられた「おとのみち」は、能登地方がNHK連続テレビ小説「まれ」の舞台となったことに因み、走行音が主題歌に聞こえるやう工夫されたものだが、周囲の景色のせるか、紡がれる音色も物悲しく聞こえた。

≪高齢化のなか復興への気力は≫

調査・支援をおこなふ鳳至支部・火宮神社(関奉義宮司)が鎮座する鳳珠郡穴水町。3月8日午後2時現在、死者20人、重軽傷者257人を数へ、住宅は全壊494棟、半壊1425棟で、被害総数は4013棟に上ってゐた。
関宮司と待ち合はせた本務社の辺津比咩神社がある町中は、潰れたり、崩れて道路の一部を塞いだりしてゐる建物も多く、応急危険度判定で「基本的には立ち入ることが危険な状態」を示す「赤色」の紙が風になびく。同神社は、社殿は建ってゐるものの鳥居や瑞垣といった石造物はほとんど倒壊してゐた。
関宮司とともに山間部へと入り、火宮神社に到着。幸ひにも本殿・拝殿ともに倒壊を免れてゐた。同神社では正月や例祭の際に拝殿側面に幕をめぐらせるため、地震後に雨や雪が殿内に入り込んだ形跡もほとんど見られない。
しかし壁板の一部は外れ、内部では剥がれ落ちた漆喰や調度品が散乱。さらに床の一部は抜け落ちてをり、向拝を支へる柱には、ずれが生じてゐる。麓の石鳥居は耐震補強を施した支柱二本と注連縄を残して倒壊した掲げてゐた石造りの社額は多少欠けたものの何とか無事だった。
調査員らは粉塵にまみれながら漆喰を運び出し、散乱した調度品を確認・整理し、扉や壁板をはめ直す。本殿を雨や雪から守るため、ビニールシートで覆ふなど応急の補強を施した。
「地震以来、初めてお宮さんに来た」と力なく語ったのは、助勢にやってきた四人の同神社氏子の一人。みな高齢で、この集落も現代の山村の例に漏れず、過疎・高齢化が深刻だ。幸ひ大きな被害の見られなかった神輿も、担ぎ手がなく、もうずいぶんと拝殿に据ゑたままだといふ。
ともに作業をしてゐると「若い人が来てくれると、こちらもやる気が出る」「みんなでやると捗るね」など次第に笑顔を覗かせた。しかし神社の復興については、氏子も被災してゐることもあって目処も立たない。調査員の一人は「復興は、まづ始めるのに相当な気力が必要。私たちの多くも
被災してゐるが、神青などが現地に来て作業をすることで、腰を上げるきっかけになれば」と語る。

≪神社によって被害さまざま≫

火宮神社を後にした一行は、珠洲支部へと向かふ組と近隣神社の調査をおとなふ組とに分かれた。
このうち近隣神社の調査では、森川功宮司が奉仕する同町の鹿波白山神社・神明神社・住吉神社・奈古司神社の現状を確認。いづれも外からの目視では社殿に大きな被害は確認できなかったものの、鳥居については四社すべてで倒壊してゐる。このうち奈古司神社では台座から落下した狛犬一体が、参道の真ん中で神社を守るやうに鎮座してゐた。
珠洲支部へ向かった組については、珠洲市宝立町鵜飼地区の住吉神社(橘重克宮司)で神輿の移動に従事した。
同市は八日午後二時現在で災害関連死を含む百三人の死亡と重軽傷者二百四十九人、二千八百八十一棟の全壊を含む八千七百五十九棟の住家被害が確認されてゐる。同神社に隣接する学校の敷地は自衛隊の活動拠点や被災者の車の避難場所等になってゐるが、倒壊した同神社の神輿庫が敷地の一部を塞ぐ形に。自治体による撤去の際、橘宮司が頼んで、内部の神輿を救出することができてた。神輿は半壊状態だったが、なんとか修復して使ひたいとのことで、のちの雨や雪の被害を考へ、調査員は橘宮司とともに境内の一角に移動させ、ブルーシートをかける作業をおこなってゐる。

≪全壊神社多く復興どこまで≫

12日は生憎の雨天に。この日は周辺で未だ状況を把握できてゐない神社の調査をおこなふ班と、同町南黒丸地区の八幡神社(橘宮司)などで支援に当たる班との二班に分かれて活動した。天候もあってか、倒壊した家屋が続く街並みに人影はなく、全壊か半壊の状態にある建物が大粒の雨に打たれてゐる同神社の氏子区域。本殿・拝殿等、境内の建物すべてが倒壊してゐる。初層部に永和2年(1376)の銘がある三重塔で市指定有形文化財の「八幡神社の石塔」も見る影がなかった。
橘宮司同行のもと、屋根の崩落に注意しながら、小さな部材は抜き、大きな部材は電動鋸で細かくして殿内の被害状況を確認。続いて橘宮司の本務社である鳳珠郡能登町の松波神社でも支援にあたり、参道上に落下した灯籠や倒壊した石鳥居の撤去をおこなった。木造建築も石造物も、部材や欠片一つを少し動かすだけでも大人数人が精一杯の力を入れたり道具を駆使したりしてやっとの重労働。改めて復興の難しさが感じられる。八幡神社や住吉神社が鎮座する珠洲市宝立町は、天皇・皇后両陛下が3月22日に石川県へ行幸啓され、市内の飯田港で被害が甚大だった地区として説明された際、御一礼遊ばされた方向の一つと漏れ承る。橘宮司によれば、周辺の五集落にはそれぞれ中心となる神社があるものの、祭りは過疎化の影響で長い間、八幡神社を祭場に合同で執りおこなってきたといふ。震災以前から神社合併の動きはあったが、候補だった八幡神社が被災したことで話は振出しに戻ってしまった。「集落すべてで家屋が倒壊するなどしてゐるのだから、神社の復興どころではないだろう」と表情を曇らせる橘宮司。また「みな神社のことは心配し、声もかけてくれるが、神主の状況もまた深刻。高齢化・後継者不足が集落の状況と相俟ってどうなるか……。この先の十年でどこまで復興できるか」との不安も吐露してゐた。能登地方では平成19年3月、令和4年6月、昨年5月と地震が頻発。復興途中や近年竣功を見たものの今回再び被害に遭った神社も多いといふ。

≪状況確認して受入れ態勢も≫

現在、石川県内の神社では神札などのお焚上げに関する問合せが多いといふ。普段は大規模神社で神札を受けてゐる人も、参拝そのものが難しい状況から、氏神神社に相談があるやうだ。持ち込まれる神札には濡れてたり汚れてゐたりするものも多く、深刻な被害に遭ったことを窺はせるといふ。
総務省消防庁によると、4月12日午後2時現在、石川県で死者245人、重軽傷者1190人を数へ、住家被害は全壊8241棟、半壊15326棟を含む76589棟となってゐる。
なほ18日の活動は、鳳至・輪島の両支部を対象に、二班に分かれて実施。一班は、鳳珠郡能登町の酒垂神社(加藤三千雄宮司)で崩れた土砂の撤去などをおこなひ、もう一班は大竹亮宮司が兼務する輪島市の白山神社と八幡神社の被害を調査したのち同市の稲屋津神社(森博宮司)で支援活動をおこなった。
そのほか、同市・住吉神社(浅井則家宮司)の禰宜を務める浅井吉胤県神社庁主事の案内で、同神社境内と市内の被害状況を確認した。当初、26日にも活動が予定されてゐたが、予定してゐた調査が18日でほぼ完了したため、中止となった。
県神社庁では、発災直後から管内神社の被災状況の把握に努めてをり、写真も掲載できる「石川県神社被災報告入力フォーム」を構築して県内神職に入力を呼びかけた。神職からの情報提供や調査員の尽力などもあって、5月初めには被害報告が纏められる予定。今後は関係団体等とも引き続き連携し、県外神社関係者からの支援の受入れ体制を整へるとともに、被災した県内各宮司からの支援要請についてもウェブサイト上の申込書類や入力フォームで引き続き受け付けるといふ。今後、復興に向けての課題は多いが、今回の状況把握と復旧支援の活動が、氏子が立ち上がる一助ともなった光景も垣間見えた。県外からの受入れも増えていくだろうなかで、物理的な支へだけでない、精神的な支へになる活動を期待したい。

<今日のフジ>

▽紫の弁慶藤_今が見頃です。

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▽白の義経藤_これからどんどん房が伸びて花が開いてきます。

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