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神社新報 ~昭和21年11月の紙面より

投稿日:2011年8月3日(水)


【囲み】 神社界に望む 氏子組織を再編せよ 教派神道的たる勿れ 神道修成派管長 新田邦達  

昭和21(1946)1125日付 01

 

 私は最近まで埼玉県与野に疎開してゐたが、そこで夏祭の賑ひに会ひ次のやうな俳句とも川柳ともつがぬものを作つた、それは  

 敗戦に神の加護を受けたり夏祭り

 といふのである、実際勝つてゐたらこんなに賑はなかつたのではなからうかと思ふ。これにより私は大衆の手に帰へつた神社信仰は決してくずれないと思つた。然しその反面このやうな賑ひを呈した祭礼に果して何人の真に信仰を持つた人が参加してゐただらうかと考へざるを得なかつた。

 今の神社は単に祭礼のみを通じてしか崇敬者氏子と緊つてゐないのではなからうか、これでは、甚だ力の弱いものとなり神職が氏子総代に引きまはされるといふ結果に陥る。そこで神社は従来の氏子組織の地域的構成を脱却して信仰的構成に立て直すべきである。地域的構成による氏子組織は将来社会が発展し唯物的な考へをもつものが多くなるにつれて当然破壊される。故にどうしても信仰的構成を完成すべきで、例へ現在このやうに再編成することにより苦境に陥るとも、その僅少な信者をじつくりと教化することにより力強さを神社が持つてくることゝ思ふ。その意味に於て神社が氏子の集合を多く持ち日曜学校等をやられることは大賛成であるし、宗教活動として当然盛んにされるべきことと思ふ。  

 次に神社信仰が個人信仰を満足せしめるかどうかといふ問題であるが、元来神道には哲学的要素が極めて少いやうに思ふ。あつたとしても、仏教、キリスト教等に比較した時、宗教的には力が弱いやうである。そこで神道を発展せしめるため哲学内容を持たせやうといふ考へが起るわけであるが、この考へには私は反対する。

 私は神社はあくまでも祭祀を中心に民族信仰としての純粋性を保持してゐてもらひたい。キリスト教の教理、仏教哲学等を取り入れて神道に世界宗教としての哲理を附与し、これを世界に布教するといふやうなことは、我々教派神道に属するものが十分考へまた実行して行く決意であるから、神社としては仏教、キリスト教の教理を入れない純粋な日本の真の姿、国家的美、これを残してゐてもらひたい。又そうすることこそ本務であり、今こゝで教派神道的行き方に走ることは時局便乗であり、神社の信仰を骨拔きにするといふことを考へて頂きたい。  

 勿論これは精神的な面、云ひかへれば教理の面に於てのみ云ふことであつて、その組織、布教方法、或ひは儀式等に於ては他宗教、特にキリスト教等の長所を採ることは必要であり、それに吝かであつてはならぬと思ふ。要するに神社人は御祭神の御神徳を確信しこれを発揚するに努め、如何なる苦難をも自らの宗教活動により拓開して行くべきであると思ふ。=写真は新田氏=


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